2007年12月27日木曜日

2007年はラッキーセブンだったか?

2007年は7のつく「ラッキーセブン」の年。

世相としては、イヤな雰囲気のこともありました。


  • 「偽装」がこれでもかというほど続出
    (ゴールデンウィークに伊勢に行き、ご近所に赤福を買って帰ったのに、その後の騒ぎで涙・・・。)

  • 防衛庁のドンの収賄

  • 過剰流動性による年前半の乱痴気騒ぎとサブプライムによる年後半のジェットコースター経済

  • 「そんなの関係ねえ」がはやるような「自分さえよければよい」的風潮

個人的には、生き方を変える元年で、手探りの一年でした。

来年は、もっと変化を求めていこうと思います。



2008年、八=「末広がり」の年にしましょう!

よいお年を!

2007年12月26日水曜日

クリスマス狂騒曲

今年もクリスマスプレゼントをサンタさんのかわりに買うのに一騒動でした。

年々、サンタさんへの要望が細かい指定になってきており、トイザラスをはじめとしておもちゃ屋を探し回ります。
サンタさんが来ると信じていることになっているので、気づかれずに買うのも神経を使います。

大混雑のトイザラスのレジで、同じようにヤレヤレという表情で大きなおもちゃの箱を出しているお父さんをみると、すごく親近感を感じます。

何年か前にも、リクエストのおもちゃがどこへ行っても売り切れで、ひなびたスーパーのおもちゃ屋で発見したときは達成感と徒労感を味わったものです。
親は大変ですが、やっぱり、こどものワクワクとした楽しみを大切にしてやりたいですものね。

娘のリクエストは、こなぷんという調理のおままごとセットでした。
サンタさん、ありがとうございました!

2007年12月25日火曜日

スラッシュ・キャリア

abc NEWS でOne Person, Multiple Careers というレポートを見ました。

'Slash' career というキーワードが出てきます。

コンサルタント/作家とか、アーティスト/ウェイトレスというように、1つの仕事に縛られずに複数のキャリアをもつことを指しています。

特徴として、お金を得るためのキャリア/勉強のためのキャリア/社会貢献のためのキャリア、などと目的別に複数のキャリアを使い分ける、ということがあります。


アントレプレナー(起業家精神)という言葉が随所に出てきます。

自分の身やキャリアは自分で守る、というスタンスがしっかりしているから、こういうトレンドがあるのでしょう。

2007年12月21日金曜日

自由な時間の意味

「近代の労働観」(今村仁司著 岩波新書)によれば、

・古代ギリシアでは、自由な時間すなわち余暇をもつ人が格上で、労働に時間を縛られる人は格下であった。
・余暇をもつ人間は、「語ること」をもって公共の事物を運営した。
・労苦から解放されるという意味での「自由」ならびにそれを支える「余暇」は、文明の価値基準であった。
・古代の文明は、余暇の文明であり、無為を理想とする文明であった。

とあります。


西洋人が、日本人に比べて長期の休暇を義務のようにとる背景には、このような考え方があるのかもしれません。

資本主義は、勤勉であることを格上とする文明をつくりました。

自由と無為は、資本主義の辞書では「ぶらぶら、ぐーたら」ということになります。

しかし、文化的なものの多くは、自由と無為から生まれているように思います。

資本主義がますます加速化する世界において、自由と無為が対抗する「ありよう」として浮上できるのか、それによって文明の行き先が変わるように思います。

2007年12月20日木曜日

中小企業家同友会

コーチングの師匠の薦めで、中小企業家同友会の勉強会にオブザーバーとして参加しました。
自分で会社を興して切り盛りしている方々が、熱心に議論します。
業種も、実にさまざまです。
大企業のサラリーマンの集まりとは、まったく違うなあ、とつくづく思いました。

戦艦に乗っているのと、自分でヨットを操縦しているぐらいの違いがあるのでしょうが、大海原を自分で操縦したほうがエキサイティングですよね!

おっと、沈まないようにしないと・・・。

2007年12月19日水曜日

スポーツクラブでの乱射

先日、スポーツクラブに行く曜日の日でしたが、佐世保のスポーツクラブでの乱射事件にかこつけて、気が乗らないとさぼりました。
これはまったく意志の弱い私の言い訳です。

しかし、この事件は、「一寸先は闇」の象徴のような事件です。
人と人が寄り添って生きていく社会の、暗黙の了解とかルールとか忍耐とか許容とか、そういったものをすべて壊されている気がします。

社会の在り方を覆すネガティブな波が広がらないように、祈っています。

2007年12月18日火曜日

得難き人

お世話になった方の突然の訃報に呆然としました。
告別式は、お人柄をしのばせる大人数で心温まるものでした。

・世の中の序列的にはたいそう偉いのに、きさくで人間味たっぷり
・決して人の悪口を言わない
・いつも前向きで、若者を応援
・たくさんの友人に恵まれている
という、すばらしい方でした。

日銀時代の同期の方の弔辞を聞き、熊本やロンドンでもご活躍だったと知りました。
中学からのご友人の方の弔辞も、友情にあふれる内容で涙をもらいました。
仕事にも、家族にも、友情にも、なんという充実した人生を駆け抜けていかれたことでしょう。

遺影に、「お前もしっかりやれ!」とどやされた気がしました。

松田京司さん、享年64歳。
ご冥福を心からお祈りします。

2007年12月17日月曜日

平穏無事

家族が、順ぐりに風邪でダウンしていきます。
同じ屋根の下にいるのですから、しかたないことです。
誰かが調子を崩すと、いつものリズムが狂うわけで、あらためて「つつがないこと」のありがたみを感じます。
平穏無事。これほど幸せなことはないのかもしれません。

2007年12月14日金曜日

こどもの研究発表

小学生の長男が、高熱で学校を休みました。
その夜、先生から電話があり、「あしたの午後に研究発表があるのですが、来られそうですか?」とのこと。
2学期の後半、準備をすすめてきたそうです。

当日は、なんとか熱も下がり、昼から参加できました。
せっかくなので見学させてもらいました。

それぞれ、1-5人のグループ毎に、外国についてテーマを決めて研究した内容の発表です。
自分の小学校時代を思い出し、こういうことの積み重ねで協働や学ぶことの楽しさを体感していくのだなあ、とあらためて感じました。

学校とは、ありがたいものです。

2007年12月13日木曜日

先生に携帯メールで質問???

大学での授業で、質問があったら携帯で先生にメールし、それをみて先生がその場で答える、という話を聞きました。
この目で見たわけではないので真偽はわかりません。
しかし、コミュニケーションのスタイルも変わっていくのだろうなあと感じます。

単純に、「日本の学生は、その場で手を挙げて質問したり討議することもできないのか?」と嘆くのは少し早計かなと思います。

いまや、スカイプやWEBセミナーなどで、チャットを併用します。
ひょっとしたら、テキスト(文字)を併用したコミュニケーションというのも、効率的であり、新しいコミュニケーションの形なのかもしれません。

決め手は、コミュニケーションの目的がなにか、でしょう。
必要な知識を得ることが目的であれば、効率的でありたいし、相手をより理解したいと思えば、顔と顔を1メートル以内に近づけて話したほうがよいでしょう。

それにしても、コミュニケーションの選択肢がどんどん増えていきますね。

2007年12月12日水曜日

2008年の抱負

2008年、「夢を書くサイト」に100万人の夢や目標を書いてもらう!

末広がりの「8」の年の抱負です。
夢を書くサイト enablife.co.jp にたくさんの夢を集めて、前向き・上向きの輪を広げたいです。

でかいことを言いましたが、まずは1つずつ、コツコツ積み重ねていきます。







2007年12月11日火曜日

一芸に秀でる

マラソン大会があり、娘と親子ペアというので2km一緒に走りました。
風が強かったのですが、天気が最高で、気分爽快でした。

ゲストに増田明美さんが来て、ワンポイントレッスンをしました。

「マラソンで勝つためにしたことは?」という観衆(こども)からの問いに、

「毎日1時間半かけて腹筋を3千回した。
なにか1つ、これは自分しか絶対やっていない、というものがあると、本番で支えになる。
私も、レースのスタートでは大きい外国人に囲まれてドキドキしたが、きっとみんな腹筋3千回はやっていない、と思うと落ち着いてスタートできた。」

と答えていました。

やっぱり、一流の人は違うなあ、と感じた瞬間でした。

御主人が横におられて、「この人(夫)は、今年の東京マラソンでゼッケンに『増田明美の夫』と書いて走ったんですよ」とのろけていたのが微笑ましかったです。

2007年12月10日月曜日

迂闊

「ああ、しまった!」と思うことがあります。
自分の迂闊さに呆れます。

「ああすべきだった」、「どうして△△しなかったのだろう?」などというおもいが頭の中をグルグルまわります。

過去は変えられません。次は迂闊にならないように、学び取ろうと前向きに考えたいものです。

そうはいっても、すぐには気持ちを切り替えられない・・・。
そういうときは、しばらく歩いたり、映画をみたりして、身体と脳のスイッチを切り替えるようにしています。

迂闊でない自分になりたいのですが、ナントカは死ななきゃ(死んでも?)直らないようです。
こういうことの繰り返しで、思わぬめっけものの体験をできたりもします。
負け惜しみですね・・・。

2007年12月7日金曜日

太陽の黙示録

「太陽の黙示録」というマンガを今頃知り、読んでいます。
大地震によって日本が南北に分断され、北は中国、南はアメリカの支援のもとに国を再建する物語です。

小松左京の「日本沈没」と同じように、平和ボケした自分の頭をガンと殴ってくれる作品です。

明治維新や第二次世界大戦など、破壊的創造によって生まれ変わってきた日本に、また生まれ変わろうというメッセージをこのマンガから感じます。

いざというときに、自分ならば家族のため、人のため、国のためにどう行動するか、考えさせられます。

2007年12月6日木曜日

同化 Assimilation

異文化に入って行き、同化する、という課題があるとします。
たとえば、日本人が米国aに行って、米国の文化や歴史を理解し、自分を合わせます。
そこには、同じ社会の一員になりたい、という動機や、異文化への好奇心などがあるでしょう。

逆に、外国人が日本に住んで、日本に同化しようとしたとき。
よくある声としては、日本人は閉鎖的・保守的で、何十年暮らしても日本人になることはできない、といわれます。

しかし、同化ということが「ある確たる行動様式や文化に自分を合わせ、一体化すること」だとしたら、1つ大きな疑問があります。

それは、いまの日本に「確たる行動様式や文化」があるのか?ということです。

一般論としての日本人らしさや日本文化的なもの、これらは過去の遺産として残っているだけで、いまや「限りなく日本的なもの」は薄くなってしまっているのではないでしょうか。

ある意味で、どうとでもなびく日本人、ある意味で主体性がなく自立していない日本人。

外国人にとって、同化しようにもその対象がないのではないか。

ふと、そんなことを考えてしまいます。

2007年12月5日水曜日

ぶーちゃんとおにいちゃん

4歳の娘は、「ぶーちゃんとおにいちゃん」という絵本がお気に入りです。



なんでもおにいちゃんのまねをしたがる弟のぶーちゃんです。
「おにいちゃんがいねむりすると、ぶーちゃんもいねむり」とか、4歳児が読むとまたかわいらしいのです。

ふと、身の回りにもまねっこが多いなあと思いました。
「おにいちゃん(ニューヨーク株式市場)がさげると、ぶーちゃん(東京株式市場)もさげる」
「おにいちゃん(先輩の官僚)が意地汚いことをすると、ぶーちゃん(元防衛事務次官)も意地汚いことをする」

よいことのまねっこは増やしたいけれど、よくないことのまねっこはやめたいですね。

2007年12月4日火曜日

政治を語らない日本人

私も含め、身の回りで政治について議論をかわすことはほとんどありません。

これは、ただひたすら不信感をうえつけられてきたために、アホらしくて何も言う気になれない、ということもあるでしょう。

某高官夫妻のゴルフ接待などで政治の空白が続くなど、何事かと思ってしまいます。

領収書問題も、民間人からしたら絶句するしかない次元の話です。

でも、自分たちの手で代表を選ぶのだという意識が薄いのも確かだと思い、反省します。

知り合いのアメリカ人青年に、日本の政治の不可思議について次々にきかれても、タジタジとして答えられない自分がいます。

まずは、政治に関心をもち、自分のことばで意見を語るところから始めようと思います。

2007年12月3日月曜日

持久走大会

小学生のこどもの持久走大会がありました。
河原をけっこう長く走ります。

実力差があるので、トップの子と最後尾ではずいぶんと差があります。
すこし障害のある子もいて、ひときわ遅くなったりします。

先生も生徒も親も、「抜かせー」とか、「最後まで全力出せー」とか叫びいます。

そこには、全力で競争して、勝っても負けてもやりぬけ、という清々しさがあります。

最後のほうの子がゴールするときには、あたたかい拍手が続きます。

やっぱり、競争しないでごまかしてはダメですよね。

2007年11月30日金曜日

お店屋さんごっこ

小学生の娘が学校でお店屋さんをするというので、行ってきました。

輪投げや魚釣り、ケーキ屋やアクセサリショップなど、みんな工夫をこらして準備しています。

先生のつくったお金の札を渡して、お店めぐりをします。

始まる前には、「いらっしゃいませ!」、終わると「ありがとうございました!」の大合唱。

耳が痛くなるほどにぎやかでした。


保育園の娘も、保育園でお店屋さんごっこをしています。

社会の仕組みを、このような形で体験していくというのは、以外に大切だなあと思うひとときでした。


先生も生徒も、準備・片付けなど御苦労さまでした。

2007年11月29日木曜日

ほめことばと責めことば

ほめことばと責めことばがあります。

ほめことばは、

  • とてもおいしい。
  • とてもよくできている。
  • 私は感心した。

などなど、言う側も言われる側も心が積極的になります。

つらいのは、責めことばです。
  • (どうして)△△しないの?
  • それがいけないんじゃない?
  • △△しないと可哀そうだよ
  • それでどうしてうまくいくの?

自分がつい他人に責めことばを使っていることに気づくとゾッとします。

また、少し気分が落ち込んでいるときなどに、責めことばをくらうと、けっこうききます。

ことばの力は絶大なので、よくよく考えて大切にしながらことばを発していきたいと思います。

2007年11月28日水曜日

時間差の情報

時間差の情報にはまっています。
たとえば、数年から10数年前に出版された経済や社会の将来展望についての本。
あるいは、数か月前のマーケット展望。
それらの見通しについて、結果を知っている視点から当たった・はずれたと見るのも楽しめます。
そして、よくみていくと、どうしてそのような見通しをもったのか、という切り口が参考になります。
「いま」の瞬間に将来を見通すことに目がいきがちですが、見通すプロセスや観点を検証することも意味があるなあと実感しています。

2007年11月27日火曜日

カナダスキー

昨年の今頃、長男とカナダにスキーに行きました。
親としては、こどもと 1 to 1 で旅行に行くというのは、けっこう画期的なことで、楽しみでもあったし肩に力も入りました。

親がはりきりすぎて、こどもには迷惑だったのだろうと今になって思います。

昨年は11月としては記録的な大雪で、最高でした。

今年も、11月17日がウィスラー、11月22日がブラッコムのオープンだったようですが、まだ降雪量は昨年ほどではないようです。

身体がムズムズしますが、また今度のお楽しみにとっておきます!

2007年11月26日月曜日

ブラックフライデー

米国の感謝祭の翌日は、ブラックフライデーといわれ、毎年小売店は大繁盛とのことです。
ニュースで、人気店の開店とともに並んでいたお客がかけだして、押し倒されて怪我をしているシーンを映していました。
「ショッピングでは着飾ってはいけません」というコメントが笑えました。
景気の動向が心配されていますが、こうしたシーンを見ると、大丈夫という気になります。
アメリカ人の楽観さを見習い、日本のメディアももっと元気になるシーンを映してほしいと思ってしまいました。

2007年11月22日木曜日

つねに新人類

CBSの60 minutesで、The "Millennials" Are Coming というのを観ました。

1980年か1995年に誕生した世代であるGeneration Y が会社に入る波が続きます。
テクノロジーにはムチャ強いが、考え方も行動様式も「新人類」なこの世代を理解し、対応する必要があるというトーンです。

本当に異質な世代だとしたら、なにか異質なものを生み出すパワーになるのではないか、と期待できます。

この世代は、明確な理由がなくても、「You are special」というシャワーを浴びて育った世代だ、という視点が面白いです。
自分を過信して失敗することも、よい経験になるでしょう。
ドンキホーテのように、自分に制約をつけずにチャレンジできるとすれば、すばらしいと思います。

2007年11月21日水曜日

なつかしのホームページ

7年前に作成したホームページに、ふと手を入れてみました。
いま思うと、当時なぜ作成しようと思ったのか、よく思い出せません。
単なる好奇心か、たまたま買ったパソコンにホームページビルダーが付いていたからか、家族の記録を残そうと考えたからか・・・。
なかなか、手作りの味わいがつまっていて、なつかしさのあまり、ついつい見入ってしまいました。
インターネット上ではありますが、これも財産だなあと思います。

2007年11月20日火曜日

敗北を抱きしめて

第2次大戦後の日本の歩みをたんねんに書いた「敗北を抱きしめて」(ジョン・ダワー著)を読みました。
意表をつかれたのは、この本では、1945年から1952年まで、日本は実質的に米国の植民地だったとみなしていることです。
日本は、アジアの中でも、その歴史において植民地化されたことのない数少ない国のひとつであると思っていました。
しかし、たしかにいまの日本は、まるで米国がMaster Countryであるかのような状況が多々みられます。
安全保障はもちろんのこと、経済しかり、文化しかり。
かつて、阿片によって悲惨な植民地となった上海を見た高杉晋作は、日本をこのようにしてはならない、と血をはきながらの行動に出ました。
「誰かが大昔に木を植えたから、今日誰かが木陰にすわっているのだ。」ということばがあります。
先人から受けた遺産を、しっかりと次に渡していかなければなりません。

2007年11月19日月曜日

生命の誕生

週末に、こどもが小さいころのビデオを見ました。

いまは生意気なこどもが、生まれたときは小さくて、元気いっぱいに産声をあげ、ほかの兄弟がこわごわ見守る。

なんだか、初心にかえることができた気がします。

生命の誕生は、やっぱり奇跡的にすばらしいことです。

2007年11月16日金曜日

日はまた沈む

1990年に出版された「日はまた沈む」(ビル・エモット著 草思社)を読んでいます。

実際に執筆したのは1987年から89年だと思うので、日本経済の勢いがとどまることを知らない絶頂期でした。

そのころに、日本の凋落について書くというのは、とても勇気と自信のいることだったと思います。
当時は、ジャパン・バッシング(日本たたき)全盛でした。

約20年たったいま、ジャパン・パッシング(日本とばし)になってしまいました
そのころの人たちには、想像できないような下降が続きました。

ビル・エモットのいうように、ジャパン・パッシングが大勢を占める今、すでにそれをうちこわす種子がしっかり根づいていると信じたいものです。

2007年11月15日木曜日

ゴーマン指数

日本の防衛のトップだった人の「倫理的でない行状」が取り沙汰されています。
部下に資産運用させて損失補填を受けたとか、年間で数十回ゴルフ接待を受けていたとか、笑えます。

元ジムジカンという人の似たような行状は、いままでにも複数あったように記憶しています。
権力は、人間の感覚を麻痺させてしまうのでしょう。

私の場合調子がよいときには、すべて思い通りにいくように勘違いし、落とし穴も見えず、ゴーマンになります。
そして、その先に必ず「まさか」があるのです。

そこで、自分のゴーマン度をゴーマン指数としてモニターしようと思います。

0-100%を軸として、
  • 100% ゴーマンのかたまり。裸の王様になっている。
  • 75%  得意になっている。まわりの情報や声があまり耳に入らない。
  • 50%  強気と弱気が交錯。
  • 25%  弱気。謙虚だが、覇気もない。
  • 0%   完全にひきこもり。
例えていえば、株式市場の相場の振幅度をはかる指標のひとつであるRSIのようなものです。
(下図は、ここ1年の日経平均とRSIのチャート)

感覚値ですが、指数が75をこえたときには、特に自らを戒しめようと思います。








2007年11月14日水曜日

マーケットと幼児の類似性

4歳の娘が、まだ添い寝しています。
早朝にジョギングするために、そーっと起きてベッドを抜け出します。

ときどき、娘はハッと目覚めて、私がいないのに気付くと、怒り狂って泣き続けます。
あやそうにも怒りはとまらず、しばらく泣き叫びます。
あきらめてだっこしていると、忘れたころに泣きやみ、こんどはハイになって騒ぎます。

まったく非合理的で、予測不能な行動です。

ふと、これは株式市場とまったく同じではないか、と考えました。

市場は、雰囲気でセンチメントで荒れ狂って暴落し、突然に静寂がやってきて、またもや雰囲気やセンチメントでハイになって踊り狂うように上昇します。

なんだか似ているマーケットと幼児にどうつきあっていくか、手探りが続きます。

というか、こちらの気持のもちかた次第かな、という気がしています。

相手が熱いときには、こちらは頭を冷やす、一歩引く、ということです。

2007年11月13日火曜日

いらん失敗

人間は、失敗から学ぶ。
いやいや、やっぱり成功から学ぶのだ。
諸説あります。

私の場合は、やっぱり失敗から学ぶ気がします。

学ぶというより、心身ともに傷つき、痛み、身体で覚え、心に刻みつける、という感じです。

いつもなにか新しいことに手を出し、あとになってみるとあきれるようなおバカな失敗をします。

そして、はいずりまわって挽回しようとします。

まったく合理的ではありませんが、これも生き方であり、個性なのでしょう。
長年、自分とつきあると、こんな風に認める心境になってきました。

2007年11月12日月曜日

そんなの関係ねえ

4歳の娘が、どこで覚えたのか、リズムにのって口上を述べた上で
「でもそんなの関係ねえ!そんなの関係ねえ! はいオッパッピー! 」
とやるので、おかしくてしかたありません。

まあ、あいかわらず中身のない表層的なお笑いではあります。
「カンケーねえよ」というのは、今の世相という気もします。

世の中がどうあれ、自分には関係ない・・・
がんばっても結果には関係ない・・・
あきらめの境地になることで、不安定で不確実な現状から、自分をまもる術という気もしますが、さびしいものです。

おっと、お笑いのテーマに目くじらをたてるほうがどうかしてますね。



2007年11月9日金曜日

NOVA

駅前のNOVAのシャッターが閉まっています。
近くに寄ってみると、会社更生手続開始の申立に関するお知らせのほかに、外国人講師からの手書きの手紙がはってあります。
「またオープンして会えると信じています」

生徒からの手書きもいくつかあって、講師を励ましたり、再開を期す内容です。

会社の存在意義のひとつに、営業活動を通して人と人を結びつける機能があると思います。
今回、それが断ち切られてしまいました。

やりきれない気持ちになります。

2007年11月8日木曜日

たった一人のたたかい

混合診療を保険適用外とするのは違法とする判断が東京地裁で示されました。

訴えたのは、腎臓がんの治療のために保険適用となる治療と適用外の治療を併用する混合治療を受けた60歳の男性です。
現行制度では、混合治療だと、保険適用の治療も自己負担となるとのこと。
これには、賛否あるようで、むずかしい判断なのだろうと思います。

ただ、私が感嘆したのは、原告がたったひとりでたたかったということです。
こんな裁判は絶対に負けると、弁護士がひとりも受けてくれなかったそうです。
すでにがんとたたかいながら、強い意志をもってもうひとつのたたかいを一人でやり抜いた原告の姿に、感動しました。

2007年11月7日水曜日

宮部節

宮部みゆきの新作「楽園」を読み終えました。

いつもながらに、読み始めると、ほかのことが手につきません。

「龍は眠る」のサイコメトラーの少年の孤独、「模倣犯」への鎮魂、といった材料が、またまた読み手をグイグイとひきこみます。

どうして、自分はこれほど宮部節にはまるのでしょうか?

どうも「孤独」と「人間への好奇心」がキーワードのような気がします。

他人の記憶が見えてしまう孤独、人間の業をほりさげて探らずにはおれない女性フリーライター。

登場する人たちの内面を見事に書ききっているからこそ、心に響くのだろうなあと思います。

ところで、サイコメトラーって、実際にいるのでしょうか?



2007年11月6日火曜日

教育における競争と自立

教育再生会議などで、教育の世界に競争原理をもちこむ議論がされています。

ワタミ社長がバウチャー制度の導入を提言するなどです。

私は、競争原理によって改革がなされると信じます。

一方で、その過程で多くの混乱がおきるだろうとも思います。

なぜなら、現状では教師も生徒も生徒の親も自立していないからです。

それぞれが、他人がなんとかしてくれる、と思っている限り、自立しないし、競争しようにも無残に打ち砕かれるでしょう。

競争原理があれば、自立がうながされるのか、自立がすすめば競争が回り出すのか。

答えは白か黒かではないでしょう。

しかし、自立とセットでない限り、競争は荒廃をもたらすと思います。

2007年11月5日月曜日

FAQサイト一考

いま日本には、はやっているFAQサイト(Frequently Asked Questions よくある質問集)がけっこうあります。
自分の関心のあるテーマでみているとけっこう楽しいし、参考になることも多いです。

社会の分断されている知を集めて広く活用できるようにする、という意味で、こうしたサイトは有意義ですし、インターネットの大きな可能性であると思います。

一方で、中には安易に質問しているなあ、と思うものもあります。

  1. 「かんたんにお金をもうけるには?」
  2. 「管理職になったけれども、なにをしたらよいかわからない・・・」
  3. 「生きている意味はなに?」

の類です。

私は、自分で苦労して試行錯誤して壁にぶつかるぐらい悩んで、はじめて知が生きてくると信じています。

以前にコンサルティング会社にいたときも、自分の脳でよく考えて答えを探すべきときに、安易に聞いてまわる人は、だいたい伸びませんでした。そもそも、安心して役割をまかせられませんでした。
答えに問題があったときも、「△さんにそうヒントをもらったのです」などと、他人のせいにするからです。

FAQサイトの持続的な進化を期待すると同時に、こうしたサイトによって個人の自己開発力がそがれることのないことを願っています。

2007年11月2日金曜日

金融とお笑い-傑作番組

日本のお笑いブームは、けっこう長く続いています。
我が家のこどもたちも、とりこになっています。
残念ながら、その内容のほとんどは、軽くて、表層的で、中身がないように思います。
「みんなが笑うからおかしい」というノリです。

以下の番組のような、時勢をふまえたお笑い番組が日本にも増えてほしいと思います。
何度みても、笑えます。

Structured Investment Vehicle (SIV) とか、意味ありげな名前で、金融商品や証券化手法が「良さげ」にみえることを風刺しています。
金融商品に、いい名前をつけさえすれば売れる、というのも笑えます。
たとえば、High Grade Structured Credit Enhanced Leverage Fund。
HighとかEnhancedとか、いかにもピカピカの、もうかりそうな名前です。
これを「Magic of the Market (マーケットの魔術)」と言うのが、とても笑えます。

2007年11月1日木曜日

途中でやめなければ、必ず成功する

20年以上前に、田原総一朗がミサワホームの三沢千代治社長(当時)にインタビューし、こう書いています。

「失敗、つまり不成功というのは途中でやめてしまうためで、何事も途中でやめなければ、いつかは必ず成功するのだというのである。恐るべきオプティミズム・・・。」
「三沢は、『途中でやめなければ、必ず成功する』というオプティミズムを持て!といいたかったのだろう。」
(出典:「日本の創業超資産家たち」田原総一朗著、徳間書店)

とても深いことばです。

肩肘をはらず、やりつづける。
これを銘としたいものです。

2007年10月31日水曜日

企業の存在意義

企業が存在する意味というと、雇用の創出・確保とか、株主への利益還元とか、いろいろあると思います。
私は最近、企業理念そのものが企業の存在意義ではないかという気がしています。
たとえば京セラの「敬天愛人」、TKCの「自利利他」。
あるいは、最近日経新聞に創立10周年の記事広告を出した楽天の「日本を元気にする」。
これらのことばは、いまの時代を生きる私たちへ、企業が一丸となって訴えてくる熱いメッセージです。
自分たちが伝えたい、後世に残したいメッセージがあるから、企業がある。
そんな考えにとりつかれています。

面白き こともなき世を 面白く

「面白き こともなき世を 面白く」

高杉晋作の辞世の句と言われています。

長州藩のあばれ牛といわれながら、師吉田松陰の「10年じっと世の動きをみて行動せよ」という教えをまもり、西行ならぬ東行と名乗ってお坊さんになったりします。

その彼も、上海を視察し、イギリスの帝国主義によって骨抜きにされた清王朝をみて、行動に移ります。

肺結核にかかっていることがわかり、余命が長くはないと知ったことも、彼をかりたてる動機になったようです。

それからは、「世の中が面白くなるのを待つのではなく、みずからが世の中をおもしろくする」とばかりに、すさまじい活躍をします。

同じ人間でありながら、心の底から、畏敬の念をおぼえます。

2007年10月30日火曜日

是銀

是川銀蔵氏の自伝「相場師一代」をいまごろ読みました。ちょっと雷に打たれたほどの衝撃でした。
相場師というと、どうもヤマ師的なイメージがあったのですが、是銀(氏の通称)の相場はきわめて論理的・合理的なものです。
そして、とてつもない胆力があります。
なにより、お金を得るには、思想がいる、という信念です。

ひさびさに、読みごたえのある自伝でした。

どうしていまごろ是銀を知ったかというと、バザーで買った本が「日本の創業超資産家たち」(田原総一朗)という1988年の古本で、ここにインタビュイーとしてのっていたのです。
是銀に関する本はないかと調べたら、自伝があり、さっそく読んだ次第です。
こういう、インターネットの蜘蛛の巣(ウェブ)的な知のひろがりは、楽しいものです。

ところで、この古本には10人の「創業超資産家たち」が出てきます。
この中で、その後バブルも経ていまだに元気のよい会社は、リクルート(事件を経て)、任天堂、セコムあたりでしょうか。
この本以降の20年近い歳月にも、いろいろなことがありました。

印象的なのは、リクルートの江副さんの章で、「人間は、その人の性格に合った事件にぶつかる」という小林秀雄のことばを紹介していることです。
それまでのあまりにも驚異的なリクルートの成長を牽引した江副さんの出会いの連続を評してのことです。
その後、リクルート事件がおき、このことばが皮肉な意味合いをも持つことになろうとは、思いもよらなかったことでしょう。

2007年10月29日月曜日

ビンボー具

こどもの話すことばは、ときどき意表をついていて、愉快です。

娘が「△△ビンボーグ店」と何回もいうので、なにかと思ったら、「△△文房具店」のことでした。

貧乏あつかいされたお店は気の毒ですが、ついふきだしてしまいました。

2007年10月26日金曜日

せかせか

東京でいろいろと用をすませると、どういうわけかとても疲労感があります。
なぜだろう、と考えたところ、だいたいは次の予定まで余裕がなくて、せかせかと移動しているからだということに思いあたりました。
遅れないように、地下鉄をおりてから走るなど、しょっちゅうです。
せかせかせず、風景を楽しみながら移動できるように、ゆとりあるスケジュールにしようと思いつつ・・・つい、いろいろと入れてしまいます。
貧乏性というのも、困ったものです。

2007年10月25日木曜日

怪我

お世話になっている先生が、階段をふみはずして骨折し、入院しました。
骨が欠けるぐらいの怪我で、1週間ちょっとで退院しましたが、いまだ外出禁止だそうです。
活動的な人なので、さぞかし不満であろうと思っていたら、逆にゆっくり本を読んだりできてよいとのこと。
どこまでも前向きな人です。
先生を見習って、どんな状況でも前向きに生きたいものです。

2007年10月24日水曜日

金融サービスの品質

身内に高齢者がいて、いろいろと気づかせてくれます。

先日は、金融機関で、○○グローバル△△なる投資信託を以前に買ったのだが、どうなっているかよくわからない、とのことでした。

いわく、
「送られてくる紙をみてもよくわからない」
「なんだか分配金が出ているようだが、多かったり少なかったりする」
「そもそも、近くに支店がないので、記帳できず、状況がわからない」

けっこうがく然としました。

この商品自体は、調べてみると世界の債権70%、株式30%で運用していて、まあそれほどハイリスクではありません。

もちろん、銀行の販売ですから、購入時に3%、信託報酬1.2%/年(!)はしっかりとられています。

疑問なのは、例によって、顧客のニーズをまったく考えずに、おそらくノルマをあげたいがために売っていることです。

いったい何のための運用なのか、ニーズをくみとって商品をすすめたとは思えません。

また、商品の内容についてもほとんど理解していません。
元本の基準価額が変動すること、分配金も運用状況によって額が変わること、当然ながら元本割れがあり得ること、・・・。

もしも、すぐには必要のないお金で、ほっといて増やしたい、ということであれば、分配金をもらって普通預金にほったらかす運用は、効率が悪く薦められません。
しかしながら、これでは、そんなことを論じるはるか手前の次元です。

きわめつけは、「銀行の人が、これを買ってくださいというから買ったんだけど」のひとことです。
もしななにか問題が起きたら、顧客も痛みを負うでしょうが、販売者も無傷ではすまないでしょう。

そして、強く感じるのは、金融サービスの品質向上には、顧客の学習・意欲・マネーIQが不可欠ということです。
モノ言わぬ高齢者が、言われるがままに金融商品を買う限り、サービス提供者はラクであり、競争力がつかないでしょう。

日本は、モノの品質には世界トップクラスでうるさい国だと、海外からの参入者は口をそろえて言います。
金融サービスの品質にも、同じようにうるさい国にしていきたいですね。

2007年10月23日火曜日

家族みんなで海外で子育て

ニューズウィークの2007.9.12号に、「家族みんなで海外で子育て!」というのがありました。
こどもを国際人に育てようと、家族で外国に移り住んだ家族が紹介されています。
オーストラリア、ブラジル、フランスとさまざまです。
思いきりと勇気があるなあと感心します。
こどもに最高のチャンスを与えているし、家族の絆も深まるでしょう。

日本で子育てしている立場としては、せっかくの日本の文化とか歴史とか名所とか、なるべくふれられるようにしようと改めて思います。

2007年10月22日月曜日

退屈

シンプルな生き方についての本を読んで、思わずおかしくて笑ってしまいました。
インデックス投資がいかに優れているかを述べたのちに、
「インデックス投資にも、唯一の欠点がある。それは、退屈なことだ」とのこと。


まさに、同感です。

株式などへの投資が趣味のようになっている人には、インデックス投資は理解できないでしょう。

投資を、豊かな人生の必要手段とみなすけれども、市況に一喜一憂したくない、という人はパッシブにインデックスでいくのが最適です。

一方で、株主として特定の会社を応援したいとか、どこそこの製品が好きで、それをつくっている会社に興味があるとか、数字の動きをみているのが楽しいとか、投資の意味あいが自己啓発・自己実現的になっている人はアクティブにいくでしょう。


投資は、生き方のひとつのカタチなので、どれが正しい・まちがいということもなく、「個性」なのかな、という気がします。

2007年10月19日金曜日

行列キャンペーン

来年の五輪に向けた中国人のマナー向上施策の一環として、行列しようキャンペーンというのをやっているそうです。
これまでは、行列はないか割り込み放題だったのを、電車を待つときとか「ちゃんと並んで待とうね」ということだそうです。

「こどもか!」と思わずつぶやいてしまいましたが、ふと、こんなことも思いました。

まず、10数億人の意識づけというのは、途方もない取り組みだということ。中国のトップマネジメントというのは、途方もない責任と能力がいる職業だな、ということ。

それから、このようなキャンペーンが必要ということに、逆に中国の上昇エネルギーを感じるということです。こどもでも、お行儀のいいこどもは立派ですが、おとなしくて覇気がなかったりします。はちゃめちゃなこどもは、エネルギーいっぱいだったりします。同じように、おとなしい日本人と、はちゃめちゃに元気な中国人。そんな気がしてしまいました。

もっと羽目をはずそう、日本人!

2007年10月18日木曜日

なぜブログを書くのか

ブログを書く効用は何でしょうか?
私にとっては、

  • 家族の記録(家族だけがアクセス。将来は、いろいろな場所に散らばっても、ブログを通してやりとりしたいし、アルバムがわりにしてほしい)
  • 自分の考えや思いの記録(どういう年代や時代にどのようなことを考えていたか)
  • 浄化(自分の心の中のものを書き出すことですっきりする)
  • 考えを整理してまとめる(もやもやっと頭の中にあるものを、書くことで明確にする)
おそらく人によって効用はいろいろなのでしょう。
世界中の個人が、自分の考えを発信できるというのは、言論革命だなあと思います。

個人的には、「浄化」という効用が一番大きかったりします。

2007年10月17日水曜日

SEO

SEO対策のセミナーに参加して、とても勉強になりました。
インターネットの世界で、SEO(検索エンジン最適化)のために起きてきることの一端を知りました。

お金儲けは、競争と活力を生む源泉であると同時に、歯止めがきかなくなってダークサイドが広がる原因ともなります。たとえば、リンク元を増やすために、ほとんど中身のない無意味なサイトをやたらと立ち上げて、そこからリンクをはるとか。もしこのような極端な行動が増殖されれば、ネット上は偉大なる知的空間であると同時に、偉大なるゴミ箱となっていくでしょう。

それにしても、サーチエンジンの「SEO対策」対策(?)に対して、生き延びるためにあの手この手を考え出すSEO業者たちのたくましさは、ある意味でたいしたものです。
インターネットの秩序を、お金儲けのためのSEO対策がどれだけ乱していくのか、興味深いところです。

このような論調でみていくと、どうもGoogleやYahooがインターネットの秩序の守護神のように思えてきてしまいます。守護神がダースベーダーとなる恐れはないのか、これまた見ものです。

2007年10月16日火曜日

既視感

2008年度の大企業は、日本経済新聞社の調査によると、大卒内定者数が4年連続の増加。
大手銀行の大量採用が継続とのこと。
3大フィナンシャルグループの内定合計は5,200人です。
かつて私が社会に出ようとしていた(出るはずであった)1980年代終盤も同じような状況でした。
バブルのピーク前で、銀行のリクルート合戦は激しいものでした。
20年後に同じような状況が再現しているというのは、なにかタイムマシンにのったような不思議な感覚です。
あの頃から今日までの20年間は、日本にとっても金融界にとっても困難なことがたくさんありました。
これからの20年はどうでしょうか。

2007年10月15日月曜日

リスク 神々への反逆 Against the God

ピーター・バーンスタインの「リスク」を読みました。
実は、以前にも読み始めたのですが、そのときにはあまりひきこまれなくて、途中でほってありました。
今回は、最近の自分の投資行動(といってもかわいいものですが)で、リスクとは何だろう、どうリスクに対峙すればよいのだろう、と考えていたタイミングでした。
そのせいか、身体にしみこむようにうなづきながら読みました。
人間の歴史の重要な側面を丹念にたどっている、すばらしい力作です。
また、投資教育という観点からも、優れた教材であると言えます。
「リスク」に登場する人たちの、探究エネルギーの偉大さに感動です。



2007年10月12日金曜日

ある日系人女性裁判官の話

ハワイで裁判官を20年以上勤め上げてリタイアした日系人女性の話を聞く機会がありました。
法曹界において、女性で日系人というマイノリティとして、幾多の苦労をのりこえて活躍されたのだろうと思います。

日本の裁判員制度については、あちらの法曹界もかなり関心をもっているとのことでした。
陪審員制度については、陪審員はどうしても甘くなりがちだそうです。
例としてあげていたのは、DV(家庭内暴力)の裁判では、裁判官が判決をくだすと9割以上が有罪、陪審員が評決をくだすと9割以上無罪というデータです。
では、陪審員制度のメリットはなにかと問うと、「裁判制度に、自分たちも関与している」という意識づけだといいます。さすがは民主主義の国ですね。

最後に、"I am very grateful" (とても感謝しています)と話してくださったのが印象的でした。
日本人の血と考え方を受け継ぎ、目上のロールモデルたちの助言を素直に受け入れることができ、やってこれたことに感謝している、とのことでした。

とても充実した、幸せに満ちた人生の空気を感じさせてもらいました。

2007年10月11日木曜日

SNSの比較文化論

知り合いのアメリカからの留学生が、MySpaceなどのアメリカのSNSとmixiなどの日本のSNSの違いについて、こう言っていました。

「アメリカでは、SNSの参加者は、実名で顔写真もバンバンのせて、自分のことをアピールする」
「日本では、アバター(自分の分身としてのマンガや写真による表現)をつくりあげて、現実世界の自分をアピールすることはあまりしない」

SNSは、日米ともに活発ですが、個人や社会にとっての役割は違いそうです。
「自分」が前面に出るカルチャーと、「誰かとつながっていたい」「どこかに帰属していたい」ということが大事にされるカルチャーとの違いかなあ、なんて勝手に想像してしまいます。

インターネットが、そのような行動様式やカルチャーまでも、国境をこえて変えていくのか、興味深くみていきたいと思います。

2007年10月10日水曜日

音読

小学生高学年の長男が、簡単なことばを(たとえば山村をさんそんと読むとか)をちゃんと読めないのに愕然とし、教科書を家で音読させることを始めました。
その昔、寺子屋では論語などの古典を音読させたり、書かせていたようです。

やっぱり、読み書きという基本をきちんと身につけることが大切だと、遅まきながら痛感しております。
きちんと読み書きができることが、本人の自信につながることを願っています。

2007年10月9日火曜日

気配り

週末に、長男の進学を希望する学校の学園祭に行きました。
感心したのは、気配りが行き届いていることです。
臨時駐車場がはなれたところにあって、バスで移動するのですが、バスを待つ人のためにイスが並べてありました。
足の不自由な人もいたので、とても助かったと思います。
80歳を超える創立者がご健在で、とても気配りのきく方なのです。
きっと、この方の目が光り、教職員や生徒にも気配りの大切さが当たり前のこととしてとらえられているのだろうな、と感じました。
なんといっても、気配りがきいているというのは、気持ちいいことです。
良き学園祭とホスピタリティを、ありがとうございました。

2007年10月5日金曜日

さりげなさ

いきつけの蕎麦屋に行くと、滅多にないほど混雑していて、待っている人の中に知人Aさんがいました。
Aさんは、その友人Bさん(私の知らない方)と一緒に待っていました。
いっしょに食べようということで、3人で待ちました。

大きなテーブルにつくと、Bさんの隣にいて、すでにそばをすすっていた方(Cさんとしましょう)は、どうやらBさんとお知り合いのようです。私たちの蕎麦が運ばれてきて、Cさんは食べ終えたので「お先に!」と席を立ちました。

おいしい蕎麦を食べ終え、会計しようとすると、なんと「もう先ほどの方(Cさん)がまとめてすませていかれました」とのこと。

Bさんや、その友人のAさんの分まではともかく、見ず知らずの私の分まで会計してくださっていたのです。
聞くと、このあたりでは名の知れた会社の社長さんとのこと。
なんともさりげなく、ありがたいことでした。
さりげない、という言葉の意味をあらためてかみしめました。

それにしても、お礼どころか挨拶することすらしませんでした・・・。
ご馳走様でした!

2007年10月4日木曜日

10.4 投資の日

10月4日は、証券投資の日です。
21世紀になって、金融不安、退職金リッチの団塊世代、内外の金利差、銀行の投信委託販売手数料稼ぎ、郵政民営化などを背景に、投資もずいぶん身近な話題になりました。
株式投資も、かつてのようにパチンコと同列のバクチまがいのものとは、さすがに思われなくなりました。
一方で、メディア(口コミも含め)の性(さが)として、「主婦がFXで3億円」とか、「退職金で投資してサブプライムで損失」とか、まるで宝くじに当たったりギャンブルですったのと同じような論調でおもしろおかしくはやしたてます。
円天市場なる、楽天市場も泣きそうな伝統芸的詐欺事件も話題です。
投資に関する学習や教育が、21世紀の大きな取り組み課題です。

日米の投資信託比較で、全体の純資産残高において、発売から10年以上経過した商品の割合は、米国の65%に対して、日本は5%とのニュースがありました。(日経

投資を国民の自立手段として国をあげて取り組んできた米国、投資の意味・位置づけへの意識が希薄な日本。

きょう1日、自分の生き方にとって投資がどういう意味をもつのか、どういう哲学で投資を続けるのか、せっかくなので考えてみたいと思います。

2007年10月3日水曜日

首相所信表明

福田新首相の所信表明に、「自立と共生」というキーワードがありました。

これは、奥深い言葉です。

個人の自立があって、共生の意味が出てくるわけで、国に依存していて何かしてもらうのを待っているだけでは、共生ではありません。隷属です。


私見では、「自立」心に優れているとはいえない日本人。
グローバル化の掛声とともに、自分だけは「勝ち組」に入りたいという風潮。
個人の豊かな人生がワキにおかれている世相。
その中で、「自立と共生」という言葉が国民にどう受け取られるのか、興味深いところです。


一方で、期待していなかったとはいえ、資本市場や、国民のお金と向き合う力の育成といったテーマに言及がなかったのは、さびしいです。

年金問題が最大関心事だと思いますが、これも国への依存心のあらわれとすれば怖いと思います。

個人が自らのビジョンと意志で立つことで、はじめてこの国の未来の世代のことを真剣に考えた行動が生まれると信じています。

2007年10月2日火曜日

JP



2007年10月1日、Japan Post がスタートしました。
明治以来の旧体制がどのように変わっていくのか、楽しみです。

ラジオを聴いていたら、市井の声として、「営利を追求せず、公平なサービスを提供してほしい」というのがありました。
悪しき平等主義だと思いました。

競争なく、くまなくサービスを提供するコストは、結局はユーザーにはねかえります。
直接的にポケットからお金が出ていかなくても、経済システムとしてお金が新しい産業の育成に回らなければ、全体が沈没します。
ヤマト運輸のような会社が、官との絶望的な闘いの中で磨いてきたサービスレベルは、競争があるからこそもたらされたものです。

また、企業が利益を出さなければならないのは、永続的にサービスを提供し続けるためです。
そのために、従業員に報い、株主の期待に答え、サービス向上の投資をしていくのです。

「サービスを続ける」ということ、これがもっとも大事なことだと思います。

個人的には、郵便局のアットホームな対応は大好きです。
これからは、競争原理の中で、JPの良さを磨いていってほしいと切に願います。

2007年10月1日月曜日

ネット上に存在するということ

あるブログで、Marc Andreesen のブログ blog.pmarca.com を知りました。
あのNetscapeを創業した人です。


キャリアプランニングについての独自の考えを披露していたりして、おもしろいのです。
ものすごい分量を書いていることにも驚かされます。



Wikipediaでみると、シリコンバレーの不動産ビリオネアの娘と結婚している、などと書かれていて、ヘェーと思いました。
ネット上に自分の考えが多量にのり、自分の私生活ものる。
ネットに生きているなあ、という感想をもちます。
さすがはWebブラウザの創造主です。

2007年9月28日金曜日

ありがとうと言える快感

「ありがとう」という言葉には、ものすごい力があります。
ありがとうと言うと、自然と「ありがたい=いまあることが稀有なことであり、いとおしい」という気持ちが湧いてきます。
ありがとうと言われると、心が充たされます。
ありがとうと言える機会を1つでも多くつくりたいと思うと、前向きなエネルギーが生まれます。

ワタミは「地球上で一番たくさんのありがとうを集めるグループになりたい。」を掲げています。
すばらしいミッションだと思います。

私は、「1回でも多くありがとうと言いたい。1回でも多くありがとうを言える機会をつくりたい」と願っています。
考え方によって、日々の営みのとらえ方と得られる充実感も変わってきます。

2007年9月27日木曜日

スカイプ不調

スカイプのすばらしさに感動しまくっていたところ、このところ2回ほど不調でした。

1回は、途中で突然に切れて、オフラインになりました。
もう1回は、ノイズがひどくて、とても話せませんでした。

双方のパソコンやネットワーク事情のせいなのかもしれませんし、原因はわかりません。

でも、1つのことを過信してはいけないということと、ノイズがある会話は実にストレスがたまる、ということをあらためて実感しました。

特に、ノイズのある会話は、聞きとるのにエネルギーを使うわりには、会話が進まず、「労多くして功少なし」。徒労感だけが残ります。

鮮明な音声での会話ができることのありがたさを思い出させてもらいました。
電話ができたころは、ノイズばかりでも人々は感激していたのでしょうね。

人間の欲求や期待レベルは、あがりこそすれ、さがることはありません。

2007年9月26日水曜日

百人一首

先日たまたま読んだ教育本に、「小学生には百人一首がよい」とありました。
いわく、読み書きの能力が大事であり、古典にふれさせるのがよいとのこと。
さっそく、家にカルタがあったので、百人一首大会を開きました。
4才児が、札をとれないとわけもわからずに泣いて閉口しましたが、けっこう楽しめました。
下の句が、濁点がなかったり、「ころもほすてふ」とかになっていて、こどもたちは戸惑っていました。
なにより、歌を詠みあげる役をやったのですが、まともに間違えずにすらすらとはいかず、苦労しました。
昔の人の文化にふれるのって、いいですね。
歌に詠まれた内容は・・・・おいおいこどもたちと勉強しようと思います。

2007年9月25日火曜日

学力低下

こども(小学校高学年)の学力低下を感じるこの頃です。
わが子だけの問題なのか、世の中全般にそうなのかは、わかりません。
「ゆとり教育」のせいだという人もいます。

わがやの事例でいえば、本はほとんど読まない、おこづかいを自分で計画的に使ってお金について学ぶ機会があまりない、学校の宿題はないに等しい、という状態です。
このままで「生きる力」を養えるのか、心配になります。
ついきびしく言っていると、学校の作文に「おとうさんがきびしすぎて、うらんでいます」などと書かれる始末です。
へらへらして一生楽しくやれるのならいいのですが、親バカとしては、うらまれても尻をひっぱたかなければ、と思ってしまう次第です。
斧で切りつけられないように、ヘルメットをかぶって就寝しないといけないかもしれません。

本人のやる気をけしかけるには、どうしたらよいのでしょうか。
闇の中の手探りが続きます。

2007年9月21日金曜日

シャーロック ホームズ

何十年ぶりかで、シャーロック ホームズを読んでいます。
かつて、はまっていました。
いま、あらためて読んでみると、「考える」「想像力を働かせる」ということが主要テーマとなっているから面白いのだ、と気付きました。
事実をぬきだし、仮説を立て、立証する。
その流れが、読みやすいストーリーになっているので、よけいに面白いのでしょう。
ワトソン君のような友人がほしいものです。

2007年9月20日木曜日

セマンティック・ウェブ



Economist.comにセマンティック・ウェブに関する記事がありました。
http://www.economist.com/displaystory.cfm?story_id=9716955

たとえば旅行するとき、航空券予約し、ホテルを予約し、レンタカーを予約し、空港の駐車場サービスを予約し、現地の地図や天候を確認し、・・・といろいろとやることがあります。

もちろん、Webのおかげで昔よりも格段に便利に、電話やカウンターで長時間待たされることもなく、しかも多くはより安く利用できるようになりました。

しかし、これらがあたかも秘書に頼むがごとくに一連の依頼としてWeb上で行えたら、と思うようになるわけです。

このように、「Web上を意味によって有機づけする」というのがセマンティック・ウェブだと思っています。
実際に、TripIt なるサンフランシスコの会社が、このようなサービスをベータ版で提供しています。

また、金融サービスでは、Wesabe も紹介されています。

"bank puke"(銀行のヘド)という表現が、なんとも強烈でおかしいですね。山と送られてくる取引明細などのヘドを、まとめてWebにぶっこむ、ということらしいです。

Webの進化への強いエネルギーを感じます。

2007年9月19日水曜日

共済というカタチ

いま、保険は個人年金保険を除いて、すべて掛け捨ての共済にしています。
以前に、言われるがままに保険に入っていて、破たんでひどい目にあったからです。
ひとつは名前に星のつく生命保険会社、もうひとつは意味不明の外国の地名を冠した生命保険会社に変わりました。

共済は、すばらしいです。こどもが入れ替わり立ち替わりケガしたりしても、迅速に保険金がおります。
剰余金の割戻が2~3割もあります。
なんといっても、手づくり的な素朴で親身な対応がうれしいです。
一家6人で約2万円/月の掛け捨てですが、割戻しを考えれば実質は1.4万円。

これで、こどものけがでの通院(もちろん入院も)、おとなの病気入院までカバーされるのですから、言うことはありません。

巨大保険会社も、初心は立派だったのでしょうが、組織が大きくなり、利益至上となり、またお金をもちすぎてしまったがために、道をはずしてしまったのでしょう。

資本主義の世の中ですが、共済というカタチが、いまさらながらに新鮮であり、一消費者として良さを実感しています。企業活動のもうひとつのあり方として、見守っていきたいと思います。

2007年9月18日火曜日

ベア

マーケットがベアになると、心理的にはどこまでも下がる恐怖感に襲われます。

これまでの経験だと、底のときには、悲観論が大勢をしめ、とんでもない悲観論がさらにとびかいます。

先週の週刊誌の見出しに、米国バブル崩壊、日本株暴落「9月18日説」とありました。

かつて米国視察でフィデリティの支店長が、「顧客には、過去のダウ平均のチャートと、底や天井のときに新聞・雑誌にどのような見出しが多いかを見せる。底のときは悲観論一色で、天井のときはさらに倍になるとか、強気ばかり。それがバロメーターさ」と言っていたのを思い出します。

さあ、いまが底なのかどうか。サインは出てますね。

2007年9月14日金曜日

りんご事件

義母の家にりんご売りがやってきて、おいしいからと試食させられ、1箱1万円で買ったそうです。いわく、「このりんごは、2-3か月おいておくと、よりおいしく食べられる。」

おすそわけをいただいて食べると、味はなく、へたもないものもあり、身がすかすかなので軽く、底にあったものは傷んでいます。きっと、落ちたリンゴの中のマシなのを拾ったのでしょう。 すぐにバレて足がつくと困るので、しばらくおいておけ、などと言ったのでしょう。

訪問販売のダマシ的な行為は今に始まったことではありません。しかし、このようなことを聞くたびに悲しくなります。こうした心無い行為で動かされるお金も悲しんでいます。悲しいのですぐに逃げ出すでしょう。1日に100軒まわって、10軒成約すれば10万円。100日まわれば1,000万円。まあ、足をふみいれたらやめられない世界なのかな。

この世に生を受けたことをありがたく思い、やましくない1日を過ごす。そうすれば、きっともっと楽しいでしょうし、幸せもよってくるでしょうに。

義母は、前にも玄関先に売りにきた味噌を1万円で買っていました。味は、わがやが直売所で買っている500円の味噌のほうが上でした。ある意味、慈愛のある行為でもあり、別の意味では親切が仇となる行為でもあります。

2007年9月13日木曜日

突然の退陣

きのうの昼、ラジオを聴いていたら、突然安倍首相が辞任すると話し出し、びっくりしました。
心身ともに疲弊していたということでしょうが、「いったい何なのだ?」と思ってしまいました。この1年、なにを軸として、なにをやろうとしていたのか、私にはわかりませんでした。「美しい国ニッポン」と言われてもピンときません。良い悪いは別として、小泉さんには、「コワシテヤル」という一貫した頑固さ、気迫を感じました。とにかく、旧体制をコワシ、変化させる。そのようなビクともしない軸があって初めて、こちらも賛成したり反対できます。軸がわからなければ、どう向き合ったらよいかもわかりません。
今回思ったのは、一国の総理大臣にこそ、コーチングのようなサポートが必要ではないか、ということです。なにしろ、まわりは相談しようにも利害関係まるだしの人たちばかりです。自分のための時間をとり、自分と向き合い、軸を固めて確認する余裕もなかったでしょう。1時間のコーチングで100万円とるともいわれるアンソニー ロビンズのクライアントに、クリントン前大統領もいたと聞きます。
それから、リーダーは心身を鍛練し続けなければならないということです。外国人のビジネスマンと接して思うのは、とにかくよく体を鍛え、精神的にもタフだということです。リーダーが消耗した顔を見せては、組織の士気があがるわけがありません。
いろいろと考えさせられた1日でした。はやく、軸のはっきりしていて心身の鍛練された人にリーダーをつとめてほしいものです。

2007年9月12日水曜日

旅先での出会い

旅行に行った先での出会いは、格別なものがあります。
この夏の旅行で出会ったご家族に、写真を送っていただきました。
ちょうど、うちのこどもたちと遊ぶ年頃のお嬢さんがおられたので、楽しく水遊びなどしました。
人生は旅のようなもの、その人生=旅での出会いは、ありがたいものです。

新婚旅行の帰り、ウィーンの空港で飛行機が大幅に遅れたときにカフェで出会った音楽家の方は、いまも連絡をくれます。
オーストラリアで出会ったすてきな老夫婦とも、年賀状などのやりとりがあり、またどこかで会えたらいいなあと思います。

旅と出会いは、生きる活力をくれますね!

2007年9月11日火曜日

9.11

September 11 のテロから6年経ちました。
この日を目前にしてUBL(Osama bin Laden)の健在ぶりをアピールするビデオが流されるなど、なんとなく不穏な雰囲気です。
NYのテロ現場にはビル建設計画が進み、イラクはいまだにゴタゴタし、世界経済は繁栄を享受したものの直近はグラグラしている。
時間は容赦なく流れ、人間の営みは止まることがありません。
9.11 のような日には、ふと文明社会と人間の不思議さ、不可解さについて考え込んでしまいます。

2007年9月10日月曜日

勇気

週末に、あるテレビ番組をみて、うなりました。
50代で早期退職し、夫婦でミュンヘンに渡り、串揚げ店を開いて半年の家族についてでした。「地球ぽかぽか家族」という番組で、ほぼ毎回見ています。
ドイツ語もゼロから、串揚げの経験もなし、というゼロスタート。
「やりたいからやる」という勇気のすばらしさを教えてもらいました。
新しいことにチャレンジするとき、つい、できない理由を考えてしまいますが、やろうと思えばなんでも突破できるものです。
背中を思いっきりどやされた気がしました。

2007年9月7日金曜日

米政府と市場の近さ

サブプライムローンの焦げ付き問題で株式市場が不安定です。
米政府は、これに対してすばやくコメントを発表します。
いつもながらに、米国での政府と資本市場の近さを感じます。
以下は、米国についての私の見方です。

  • 米政府は、資本市場の成長を通して国民の経済的発展を実現することを経済の前提としている。
  • 個人には、401Kなどの制度と教育機会を提供することで、経済的自立を求める。
  • 資本市場の安定をゆるがすリスクや事故には、最優先で対処する。
  • 個人にとって、投資機会や教育機会をいかせずに、金融資産を増やせないということは、経済的な死を意味する。

このような国において、資本市場が成長装置でなくなるということは、国民の暴動を引き起こすぐらいのゆゆしきことなのでしょう。
国の大黒柱として、資本市場を大事にしようとする気迫を感じます。
日本だったら、「株なんてバクチをやってみるやつらは、自業自得だ」とマスメディアを中心に嘲笑するぐらいでしょう。

2007年9月6日木曜日

面積算

こどもの勉強を見ていて、面積算というのを知りました。つるかめ算などを面積を使って求めるものです。
図を書いて視覚的に考えるというのは、なんとなく想像力を刺激してくれる気がします。
コンサルタント時代、金融のある業界のコスト構造をシミュレーションするのに、いろいろな図を駆使して考え、わかりやすく説明するための工夫をこらしたことがあります。頭の体操をしている気がするとともに、説明がわかりやすかったと参加者に言ってもらえて、とてもうれしかったのを思い出します。

2007年9月5日水曜日

アンテナの感度

尊敬する人が「これはいい」と言っている本や記事は、すぐに読みたくなります。
読んで、「なるほど、これはすごい」というときもあれば、「???」というときもあります。
どこがいいのか、首をひねってしまうときは、自分のアンテナの感度を疑います。
そもそも論点がわかっていない、受信するのに十分なベースの知識が自分にない、自分の問題意識とかみ合わない、など原因はいろいろだと思います。
素直に考えて、アンテナを絶えず磨き続けていきたいと思います。

2007年9月4日火曜日

不撓不屈

「不撓不屈」(高杉良 著、新潮社 刊)を読みました。
私が生まれる前の「飯塚事件」について、お恥ずかしながらはじめて知りました。
また、昨年に映画化されていることもやっと知った次第です。

自分の住む栃木県に、飯塚毅氏のような偉人がいたとは・・・。
禅で見性を許され、世界の税法や会計実務に精通し、英語とドイツ語を自由に操り、TKC(東証一部上場企業)を創業。
信念を貫き、言うべきことを言い、権力の理不尽にも屈しなかった。
彼を応援して国会で国税庁長官を追求した渡辺美智男氏(当時代議士1年生)の弁舌もたいしたものです。ミッチーがこのような活躍をしていたということも初めて知りました。

平成4年に同氏が国会で意見陳述している姿をビデオで見ることもできます。
http://dr.takeshi-iizuka.jp/proposal/media/movie-07.html
大蔵官僚にチクリとやるどころか、ズケズケと法案の欠陥を指摘するあたり、彼の生き様・信念を垣間見ることができます。

飯塚事件の象徴は、メンツやプライドにこだわる高級官僚の暴走と無責任さです。40年以上がたった今、官僚主義の負の面はどれだけ正されたでしょうか?ちょっと暗い気持ちになります。

もっとも感動したのは、暴走の主導者である安井誠関東信越国税局直税部長(当時)に対して、損害賠償・名誉毀損等の訴訟を起こさなかったことです。飯塚氏の師である植木義雄(ぎゆう)老師の禅語「鑊湯無冷處(かくとうにれいしょなし)」(煮えたぎったお湯は冷やしようがない)に従って、訴訟を起こさなかったようです。「許すことほど完璧な復讐はない。」(Josh Billings)という言葉を思い出します。
安井氏は、その後大蔵省では証券局長にまで上り詰め、後にいくつかの生命保険会社などに天下りました。高級官僚として、絵にかいたような成功・勝ち組みでしょう。一方で、未来永劫、彼の事件での活躍(?)ぶりは記録として残ります。

個人の力の底知れなさをあらためて実感させて下さった飯塚毅さん、そしてこのような歴史上の重大事件と偉人の生き様を小説として残して下さった高杉良さん、ありがとうございました。


2007年9月3日月曜日

ビデオ電話

先日、スカイプではじめてビデオ電話をしました。
カメラはパソコンに内蔵されているので、いとも簡単に利用できます。
画質は、全画面にすると当然のことながら粗いですが、十分です。
相手の顔が見えると、なんとなく安心感があります。
本の紹介など、実際にモノを画面で見せることもできるので、いいですね。

ちょっと前まで、ビデオ電話というと、専用の機器(それも100万円以上の高価なもの)のある会議室に行って、複雑な(少なくとも私には)操作をして、やっと利用できたものです。もちろん、通信費もかかります。

無料であり、地球上で2億人(現在のスカイプ利用者数)が目の前にいるかのようにコミュニケーションをとれる。
まったく、すごいことになってきたものですね。

2007年9月1日土曜日

またしてもネットの負の面の強調

名古屋市内で女性が突然に連れ去られてお金を奪われ殺害。
捕まった男たちは犯罪仲間を募る携帯電話のインターネットサイトで知り合ったとのこと。
またしてもメディアがインターネットの負の面を言い立てています。(例:8月31日日本経済新聞朝刊 春秋)
インターネットは、コミュニケーションのツールです。
殺害に使った凶器のメーカーを糾弾するのと同じ論理にしか思えません。
たまたま、矛先をむけやすいから向けているのです。
人類の歴史において犯罪は常にあるでしょう。
犯罪と向き合うことが、歴史の重要な1要素であるとすると、もっと論じるべきことがあると思います。
今回の事件に関連して、次のような疑問をもってしまいます。
すべて、「いま何が必要で、これから何ができるのか」という観点です。

  • お金に困って犯罪に走った・・・お金についての無理解・無知が背景にあったのではないか、それを補うような学習なり助言の機会があればどうか
  • 出口のない犯罪に走った・・・人生の夢とか目標とかについて、小さいところからでもイメージする機会があればどうか
  • 携帯のサイトでうんぬん・・・電車内でも、歩行者をみても、スイミングスクールで子供を待つ親をみても、多くは携帯の小さな画面を見つめている。そこになにかマジックでもあるのか?現代の阿片か?人とつながっていないと不安なのか?本を読んで自分と向き合うことのありがたさを知る機会があればどうか
考えれば考えるほど、教育という場に思いが行きます。
未来を担うこどもたちが、人間らしく生きるための教育こそ最重要課題ですね。

2007年8月31日金曜日

雨乞いの踊り

米国のモチベーショナルスピーカー(動機付けの得意なスピーカー)であるジム・ローンが好んでする話に、以下のものがあるそうです。

  • アフリカのサバンナのあるマサイ族の村の話。
  • 毎年、乾季になると村は干上がる。危険な状態になると、この村では、他の村と同じに見える踊りを行う。
  • リズムや動きなどは、他の村の踊り方となにも違わないようにみえるのだが、結果は驚くほど違う。
  • 他の村では、2回か3回の踊りで雨が降るのだが、この村では踊ると必ず降るのだ。
  • 100%の確率で!
  • このことは、世界中の科学者の知るところとなり、チームを組んで調査隊がやって来た。
  • 彼らがみつけたたったひとつの違いは、他の村では3日とか5日とか9日をぶっつづけで踊るのに対して、この村では雨が降るまで踊りを続けるのだ。
見方によっては、ただのトンチ話のようですが、とても深みのある話ですね。

エジソンは、電球のフィラメントに使う材料を考えられる物質をつかって途方もない数をテストしました。最後は、京都の竹でうまくいったようですが、それをみつけるまでに常人であれば気絶するほど試行錯誤しました。
でも彼は、「1万回失敗したわけではなく、1万種類の使えないものがわかったんだよ!」とひるみませんでした。

雨が降るまで、自分を信じて踊りを続けたわけですね。

2007年8月30日木曜日

文体

本好きの私は、面白い本をみつけて、夢中になっていられれば幸せです。

好きな作家が何人かいて、その作品は、もう出だしからワクワクします。

日本語でも英語でも、ワクワク感は変わりません。

たとえば、宮部みゆき、高杉良、ジョン・グリシャム・・・。

ジャンルはまちまちですが、どれも1ページ目からはまります。

きっと、その人特有の文体があって、それが自分の波長とかフィーリングに合うのでしょう。

せいぜい1000円とか2000円で、このような幸せを味わえるとは、まことにありがたい世の中です。

2007年8月29日水曜日

テロよりもサブプライム?

最近の米国での調査で、経済への足台の脅威はサブプライムという結果だったとのことです。
http://money.cnn.com/2007/08/27/news/economy/subprime_threat.reut/?postversion=2007082704

ビジネスエコノミストたちの調査で、テロよりもデフォルトや借金の増加が経済に対してより大きなリスクであるとのこと。
たしかに、影響範囲がまだはっきりしないサブプライム問題は、「見えない」がためによりリスク不安をあおるでしょう。
しかし、どうしても「のど元を過ぎれば・・・」的な反応であると思ってしまいます。
なぜならば、もっとも見えないものはテロであり、リスクの大きさは、「見えなさとインパクトの大きさ」によると考えるからです。
テロ対策がさまざまにとられ、発生可能性は低くなっていると信じたいですが、「いまそこにある危機」に対して、いつも警戒の心を解かずにいたいと思います。

2007年8月28日火曜日

感謝

朝、めざめとともにいろいろなことへの感謝の気持ちが次から次へとわいてきました。

1日のよいスタートだと思っていると、以前に勤めていた会社の同僚からうれしいメールです。昇進した、ぜひいろいろアドバイスをくれ、という内容でした。

おめでとうと言うことができ、自分も感謝することができると、とても幸せな気持ちになります。

この感情こそが、人間が人間たるゆえんでしょう。

2007年8月27日月曜日

ご長寿

近所の文具店に行ったら、その家の長寿なおじいちゃんの写真があり、思わず世間話をしてしまいました。
数年前に105歳で天に召されたとのことですが、直前に大腿骨を折って寝込むまでは病気知らずだったとのこと。
最後まで肉が好き、お酒は気の向くまま、50歳台で奥さんをなくしてからは独身だがあちらこちらにいい人はいて、好きなことばかりやってストレスなし。
そんな気儘さが長寿の秘訣だったのではないかと家族の人が言います。
やりたいことをやって100余年の大往生。良き人生ですね。

2007年8月23日木曜日

まんがのすわり読み

ハワイで本屋に行きました。
若者が何人も座り読みをしている一角があって、みるとマンガのコーナーでした。
日本のマンガを英訳したものが、7ドルから10ドルぐらいでした。
日本だと、かつてはマンガのあるところに立ち読みの山でしたが、立ち読み禁止のところばかりで、最近は見ません。そもそも、本にビニールとかをかけて、読めないようにしているところが多いです。
座り読みの光景は、「立って読む」などという遠慮がましいことはしない、という文化を感じるとともに、マンガ文勃興期の活力を感じさせます。
日本の文化、底力がありますね。

2007年8月22日水曜日

女性パワー

ハワイのアラモアナショッピングセンターで6時間(!)の買い物につきいました。
家族旅行は、人生の最大の喜びのひとつですが、1つだけ苦行があります。
それは、買い物です。
あれこれ品定めをし、店から店へととびまわるのについているだけで、脳の活動は停止し、体の機能は低下し、ただただ終焉を願うのみとなります。
雑誌の広告で、男と女の写真のそれぞれの頭の上に、男は「Jet Skiing, Golf, Wind Surfin, ...」、女は「Shopping, Shopping, Shopping, ...」と書いているのがあり、思わずニヤリとしてしまいました。
男と女で、なにか脳の働きが違っていて、こうなるのでしょうか?女性は、買い物をしているとアドレナリンが高まり、ハイになり、パワーアップするのではないか、とすら思ってしまいます。
アラモアナショッピングセンターを闊歩する若い日本女性たちを見ていると、多くは背筋をしゃきっと伸ばし、大股で急ぎ足で歩いていて、「買うぞ!」というオーラを発しています。目の輝きの強さが違います。
男性は、女性には根源的に勝てないのだなあ、と妙に納得してしまうのでした。

2007年8月20日月曜日

ホームパーティー

ハワイの知人のお宅に招いていただきました。
高台にある家からは、すばらしい眺めを楽しめ、気持ちよい風をあびることができます。
こちらの老夫婦は、アメリカ人と日本人のカップルで、教員生活をリタイアして静かで充実した生活を送っている様子が伺えます。
古いパチンコ台まであって、こどもたちも大喜びです。
小さい頃に移民の親せきをたよって、日本から渡ってハワイで人生を切り開いてきた人たち。
きっと語りつくせぬ苦労と努力があったのだろうと思います。
そして、見事に実り豊かな毎日を獲得したというのは、すばらしいことです。

2007年8月15日水曜日

エジソン親子に思う

エジソン展というのをやっているので、親子で見に行きました。
蓄音機など、プラスティックの使い捨てコップでシンプルに再現できるので、面白いものです。
エジソンの発明したものを実際に見ると、その多彩さに圧倒されます。
なにより、好奇心旺盛すぎて学校からのけものにされた彼を、家で教えたおかあさんが偉大です。
「なぜ?」という問いに、一緒に考えようと辛抱強くつきあう。また、答えを教えるのでなく、答えを得るための手段を教える。
教育は、愛の形なのだなあと、あらためて思います。

2007年8月14日火曜日

Liquidity 流動性

NYダウが14Kをこえた後に、サブプライムの呪いで株式が世界的に乱高下しています。
いわく、過剰流動性のバブルがはじけたとの声も。
ついこの間まで、金融関係者のキーワードは流動性で、その恩恵に酔っていたばかりです。
パーティーでの乾杯の音頭も、「流動性に乾杯!」だったとまことしやかに聞くほどです。
乾杯のダシに使われるようになると、宴の終焉だというお手本のようですね。

2007年8月13日月曜日

夏休みの宿題

今年も、こどもの夏休みの宿題にふりまわされます。
例年、夏休みの最終日の深夜までかかって格闘です。
今年は、旅行前にすっきりしたかったので、この週末でひとくぎりさせようと格闘しました。
みんなイライラして、夫婦喧嘩まで発生します。
できあがってみると、家族の合作というべき自由研究帳になっています。
およそチームワークの悪いチームですが、なんとかアウトプットができて、ほんとうに良かった・・・。

2007年8月10日金曜日

自分を信じる

自分を信じる - 私はこれが苦手です。
流れに乗って調子のいいときはいいのですが、一所懸命にあがけばあがくほどはまるようなときには、自分を信じる心がゆらぎます。
「自分を信じろ」「この決断をしたときの自分を信じろ」「自分が自分を信じなくてどうする?」などと自分に言い聞かせるのですが、それでも浮足立ってしまったりします。
自分を信じるということは、真っ暗な長いトンネルの中を、いつか光が見えると絶望的に歩き続けているのと似ています。
経験上、その結果みられる光は、幸福に満たされた燦然たるものなのですが。

2007年8月9日木曜日

自己啓発モノ所感

自己啓発的な内容で本などを読んでいると、けっこう広い世界があることがわかってきました。
米国では、Secretというビデオが大流行していて、自己啓発的なセミナーやDVDもいろいろあります。
日本では、自己啓発セミナーというと、私などはちょっと怪しい気がして警戒してしまうのですが、米国ではコーチングやカウンセリングなどと同様に根付いているように思います。

DVDも買って見てみました。
Bob ProctorとVic Johnsonという人のスピーチです。
内容は、たとえばBob Proctorのテーマは「The science of getting rich」。




「リッチになるための科学」というわりには、精神論の話ばかりに聞こえました。
しかしながら、彼らのずっとしゃべりつづけるエネルギー・気魄は、なかなかのものです。

Vicは、1997年の自分の確定申告のコピーを見せ、たった1.4万ドル(約200万円弱)だった、でも、自分を信じ、やりたいことを信じることで、世界が変わった、と語っています。体がでかいの上に、でかい声でしゃべるので迫力があります。なんと、プロレスのリングがスピーチの舞台です。



自己啓発は、ただ言葉づらで聞くと、「当たり前のこと」や「ことばの遊び」に聞こえます。一方で、自分がなにかに渇望しているときに聞くと、心にしみわたるように思います。
日本での怪しげなイメージにとらわれず、いろいろな人の話を聞いてみる価値がありそうです。

2007年8月8日水曜日

激する

暑さでイライラし、こどもはカオス状態なので、激することが多いこの頃です。
おとなが自分だけだと、ひとりで激してどんどんエスカレートし、手をあげてしまうこともしばしばです。
ところが、妻がいると、彼女は彼女で激します。激している人をみていると、不思議とこちらは激する気がしなくなってしまうのです。
むしろ、冷静に事態をみて、「まあまあ」などとなだめたりすることもある始末です。
これは、「激すると、あのように鬼の形相になるから、やめておこう」と思うからなのか、自然と「怒り役」と「なだめ役」に役割分担しようと体が動くのか・・・。
自分でも不明ですが、人間の感情というのはわからないなあ、としみじみ思います。

2007年8月7日火曜日

Wesabe

Wesabe.comなるサイトを知りました。



家計簿がわりになり、お金を貯める目的を設定し、同じ目的をもつ人とのコミュニティをつくれます。
「食費を倹約する」などのテーマでのTIPS(ヒント)も他ユーザーからもらえます。

運営者のブログを見ると、Welcomeメッセージに以下のことばがあり、共感しました。
I started Wesabe because I thought there were way too many companies out there helping businesses get more money out of consumers, and not nearly enough helping consumers get more value out of businesses.
(自分がWesabeをはじめたのは、どこを見てもビジネスで消費者からもっとお金をとってやろうという会社ばかりで、消費者がビジネスからもっと価値を得ることを手助けしていない、と考えたからなんだ。)

同じ志にふれることができ、とてもうれしい朝です。
また、彼らがはるかに先を行っているので、刺激をもらいました。

2007年8月6日月曜日

こどもとの格闘

蒸し暑さでイライラがつのる中、夏休み中のこどもたちとの格闘が続きます。
家の中でゴロゴロしていたり、きょうだいゲンカをしていると、ついつい怒りが爆発してしまいます。
お互いの精神衛生上、良くありません。
どこまで干渉し、どこから自主性を尊重したらよいのか、見当もつきません。
ほかの家が、どのようにうまくやっていけているのか、不思議でたまらないほどです。
こどもを産み、育て、世代がわりしていくというのは生き物として当たり前のことなのでしょう。現実は、その瞬間瞬間が、悩みと喜怒哀楽の連続ですね。

2007年8月3日金曜日

教える喜び

インターネットは、すでに巨大な知識空間を形成しました。
OK Waveなど各種のFAQサイト、コミュニティサイトなどで、質問と回答がとびかっています。
自分が悩み、格闘した結果得られた知恵や知識を、同じように苦労している人に教えられるというのは、とてもうれしいことです。脳の中に、とってもいい成分が沁み出してくる気がします。
個と個をつなぐインターネットによって、人の共生・共感・共働が進化していくと、なにが生まれるのか、わくわくします。

2007年8月2日木曜日

花火

今年も花火大会がありました。
雨で2度延期した末に、やっと実行です。
隣近所の人たちで、通り沿いに机を出して、ビールを飲みながらワイワイ鑑賞です。
川まで行って見ようとしていた近所の人たちが、ここを通らざるを得ないので、みんなつかまってカンパーイとなりました。
こどもたちは、上空は見ずに、自分たちで勝手に花火をやっています。
それぞれがてんでに好きなことをしゃべり、好きなことをしている。
こういう長屋感覚のつきあいって、いいですね。

2007年8月1日水曜日

お金のリテラシー

個の自立において、お金のリテラシー(Financial Literacy)は重要な柱です。
日本でも、お金の教育のためのセミナーや、本、ブログなどがいろいろあります。

米国はどうでしょうか。
ベースボールの球場でも、株価が表示される国です。生活とお金のリテラシーが一体化しているように思います。
米国には、U.S. Financial Literacy and Education Commissionというのがあります。
「米国お金のリテラシーと教育のための委員会」とでも訳しましょうか。
the Fair and Accurate Credit Transaction Act (FACT Act) という法律によってつくられたものです。
www.mymoney.govという教育・啓蒙サイトを提供するとともに、米国内で1-888-MYMONEYという番号のフリーダイヤルを用意しています。

mymoney.govでは、次のようなトピックでお金についての情報や知識を提供してくれます。 (主に、参考になる情報へのリンク集のようになっています。)

  • 予算をたてる
  • 税金を払う

  • クレジットカード

  • ファイナンシャルプランニング

  • 家を買う

  • こども向けコーナー

  • 教育費を払う」

  • 個人情報保護、不正

  • 人生のイベントに備える

  • 退職を計画する

  • 貯蓄と投資

  • スモールビジネスを始める

国家として、お金のリテラシーを高めて、資本主義を進化させ、国民の富を安定化させようとする意志を感じさせます。国家が、国民の意思によって行動していますね。


日本も、こういうことは真似をすべきでしょう。


2007年7月31日火曜日

脳の揺らぎ

自分の意志が人生をエネーブルする、と信じてやみくもに試行錯誤しています。
そう信じたのは、わくわくと幸せそうに生きている人たちの話を聞いたり読んだりし、また自分の経験から直観的にそうだと思ったからです。一方で、科学的・生物学的にも、きっとそうではないかと思っていたら、まさに!と思うメッセージを読みました。

「[図解]あの人はいつ勉強しているのか?」(PHP研究所)という本の中で、池谷裕二氏が説明している内容がそれです。
最近の脳の研究では、人間の行動を決めるのは「自由意志」ではなく、「脳の揺らぎ」だという実験結果が出ているとのことです。脳の揺らぎを増やすこと、それにはまず動いてみること、身体を動かしてみることだ、とのことです。また、「夢を持つこと」には効用があり、思い描くだけで、身体が勝手にその方向に近づく、とのことです。

自分のめざす方向に向けて、背中を押してもらった気がして、ちょっぴりうれしいです。

2007年7月30日月曜日

投票の電子化

参議院選挙の投票に行きました。
郵送された書類を係りの人に渡し、名簿で照合し、紙に記入し、投票箱に入れます。
こちらはそこまでですが、その後には、集計・集計結果の確認の作業が待っています。
おそらく、熟練した人が手際よくやるのでしょう。
でも、やはり電子化したらどうだろうかと思ってしまいます。
携帯電話であれば、本人確認もされています。
統計的にどうかわかりませんが、若い世代ほど投票率が低いのであれば、そのとりこみのためにも有効でしょう。
やり方を変えていかないと、民主主義の進化も進まないと思います。

2007年7月27日金曜日

教育者

最近、2人の教育者のお話を伺い、教育のプロの志にふれる機会がありました。
1人は、ハワイ大学の副学長をつとめ、いまは日本の大学で時事英語や比較文化論を教えている女性です。日本の学生とアメリカの学生の行動様式の違いなどについての彼女の話は興味が尽きません。教育の専門家、教育のプロとしての気迫は大変なものです。
もう1人は、全寮制の中学校・高等学校を30年前にゼロからつくりあげた創設者です。50歳から行動したのですから、驚くべきエネルギーです。みずからも60年に渡る教員としての誇りをもち、プロの教員を育てています。
それぞれ70歳、80歳というのに、脱帽の若さとエネルギーです。
刺激を受けるとともに、教育界でお2人に続く世代の元気さはどうなのか、ふと知りたくなりました。

2007年7月26日木曜日

サマーキャンプ

こどもたちが夏休みに入り、小6と小4は、2泊3日の空手の合宿に行ってきました。小1もいるので、夏休みをどう過ごすのかが頭の痛いところです。
アメリカでは、1週間単位から、いろいろなサマーキャンプに行かせると聞きます。日本でも、1週間や2週間、長野や北海道などに行って自然に親しむ、というようなキャンプがあるようです。でも、小4以上とか、いろいろと条件が合わなくて、いっぺんに解決するわけではないので困ります。
来年こそは、はやくから計画して、こどもの思い出にもなる1週間以上のキャンプに送り出してやりたいと思っています。と、去年もそう言ってたような気が・・・。

2007年7月25日水曜日

'Globalization' a dirty word?

CCN.comで、「'Globalization' a dirty word?」というニュースをやっていました。
グローバリゼーションの恩恵を受けているというよりは、モノの品質低下、職の機会が減ったり、労働賃金が下がったり、という恨みつらみがたまってきているという話です。
米大企業は、グローバリゼーションによって利益構造が地域的に多角化し、アウトソーシングなどによるコスト低減で増益となる会社が目立ちます。
一方で、グローバリゼーションが個人を幸せにしているのか、という疑問が出始めたということでしょう。
グローバリゼーションが、文化の多様性にどのような影響を及ぼすか、というテーマも、これから問われていくのだと思います。
グローバリゼーションは、とめようのない大きなうねりです。その波にのせていくもの、のせずに守るもの、という区分けをよほどしっかりしていく必要があるでしょう。

2007年7月24日火曜日

ラジオ体操

こどもの夏休み、朝のラジオ体操が始まりました。
育成会の人たちがもちまわりで当番となり、ラジオをかけて一緒に体操し、解散の際にハンコをおします。
体操をしているのは、正味で5-6分だと思いますが、真剣にやるとけっこういい感じで1日をスタートできます。
日本全国津々浦々、毎朝このように運営されているというのは、なかなか凄いことです。
このような良い習慣をみんなで続けていくことのありがたさを、あらためて感じます。

2007年7月23日月曜日

教育

長男の進学を控え、わがやは学校ブームです。
どんな学校があるのか、遅まきながらまわっています。
それぞれに特色があり、精力的にアピールして未来の生徒をひきつけようとしています。
傾向としては、英語、パソコンなどの教育に特色を出そうとしているように思われます。
全寮制という、今までまったく知らなかった世界も見てみました。
これも、思春期にいろいろ苦労もあるでしょうが、良い面がたくさんありそうです。
最終的にどこに着地するのか、いまから楽しみです。
それにしても、教育も「選ぶ」時代であり、こちらの選ぶ力を問われているのだなあと実感しています。

2007年7月20日金曜日

村上被告に実刑判決

村上ファンドの村上被告に懲役2年の実刑判決が下されました。
ホリエモンといい、村上被告といい、あれだけ時代の寵児としてもてはやされて、見るも無残ないまの姿です。
まさに、「盛者必衰のことわりあり」。
人間の性として、どうしても負の面、有名人の転落するというワイドショー的要素に興味をおぼえます。
一方で、資本市場をより公平なものにしていく、旧体制を打破する、という正の側面もあったわけです。
村上被告は、能力といい、実績といい、そのためのロールモデルになれる人だったと思うので、残念です。
志のある次の人たちが出てくることを祈ります。
時代が求めているのは、ロールモデルだと思います。
どうも、反面教師ばかりが表に出てきますが。

それにしても、失敗がなく、能力のある人の落とし穴は、おごってしまうことのようですね。

2007年7月19日木曜日

CSR

CSR(Corporate Social Responsibility) という言葉をよく聞きます。
CSRに熱心な企業を中心に投資するCSRファンドもあるほどです。

たしかに、株主からの期待にこたえて営利追求が第一義となる企業に、CSRという軸を植え付けることは大切なことです。
一方で、「C(Corporate)」ばかりに目を向けるのもどうかと思います。
私個人は、21世紀はCからI (Individual) の世紀になると思っています。
個人が、CSRという言葉で社会貢献をいわば「他人事」にしてしまうことを危惧します。
20世紀の「会社」が人生や社会を支配する、という旧体制を温存させるためのキーワードともとれます。

ISR(Individual Social Responsibility) という言葉があるか知りませんが、個人の社会貢献意識を高めていくことこそが、21世紀のチャレンジです。

2007年7月18日水曜日

ダウ14K?

ダウ平均が7月17日終値で13,971.55ドルと、14,000ドル突破目前です。
今年になって13,000ドル突破したばかりなのに、もう14,000ドルとは驚きです。
すでに15,000ドル?という声も聞かれます。
ブル派のひとつの理由づけに、グローバル化があります。
米国大企業の利益の3分の1は海外から得ている、などのデータをもとに、企業活動が分散・多角化しており、新しい成長の流れにあるというものです。
なんとなく、2000年以降のITバブルのころにいわれたニューエコノミーについての理由づけを思い出し、ちょっと不安でもあります。
momentum driven market(勢いにひきずられるマーケット)についての懸念も引き続きあります。
まあ、市場に欲望がある限り、長期的には上がるということなのでしょう。

次は、NASDAQに流れが向かうと思われますが、どうでしょうか。
7月17日終値で2,712.29ドル。ITバブルの5,000ドル超へはまだまだ遠いです。
欲望の力はきっと、その距離も埋めてしまうのでしょう。

2007年7月17日火曜日

お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい

金曜ドラマで、「お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい」を見ました。
重度の脳性まひのやっちゃんが書いたこの詩を私が知ったのは、20年以上前のことです。
悲しい詩だなと思うとともに、「ごめんなさい」と言わなくてすむ世の中になってほしい、という願いがこめられていたと知って、やっちゃんの強い意志と勇気を感じました。

いま、こどもたちの父としてあらためてこの詩を読むと、親子の愛情と絆が感じられてきます。
やっちゃんは、おかあさんと一体化しているぐらいにおかあさんを愛し、その感謝の気持ちがそのままこの詩になったように感じられるのです。

それにしても、この詩が生まれて30年がたって、やっちゃんに見せてあげたい世の中になったでしょうか。

ごめんなさいね おかあさん
ごめんなさいね おかあさん
ぼくが生まれて ごめんなさい
ぼくを背負う かあさんの
細いうなじに ぼくはいう
ぼくさえ 生まれなかったら
かあさんの しらがもなかったろうね
大きくなった このぼくを
背負って歩く 悲しさも
「かたわな子だね」とふりかえる
つめたい視線に 泣くことも
ぼくさえ 生まれなかったら

ありがとう おかあさん
ありがとう おかあさん
おかあさんが いるかぎり
ぼくは生きていくのです
脳性マヒを 生きていく
やさしさこそが 大切で
悲しさこそが 美しい
そんな 人の生き方を
教えてくれた おかあさん
おかあさん
あなたがそこに いるかぎり

(「お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい」 向野 幾世 (著) 産経新聞ニュースサービスより引用)

2007年7月13日金曜日

HMD(ヘッドマウントディスプレー)

オリンパスが、配線のない眼鏡型のディスプレー(HMD)を試作したという記事を読みました。
マイケル・クライトンンの作品に、コリドー(廊下)とよぶ機械をHMDをかけて歩きながら、まるで書庫をバーチャルにみているように電子ファイルを探す、という描写がありました。この小説では、メガネでみているバーチャルな視覚に酔ってしまい、ひどい目にあうという展開でした。

オリンパスの配線なしのHMDは、2012年ぐらいの実用化を目指すということです。きっとクライトンの小説のような副作用は解決されているのでしょう。ユーザーインターフェイスの進化は、テクノロジーの進化の最後の聖域のひとつでもあり、楽しみのひとつです。

2007年7月12日木曜日

鰻と中国

お昼に久しぶりにうな重を食べていたら、テレビで「中国の食品管理の問題が発生している中、輸入ウナギの国内消費が7月に入って大きく落ち込んでいる」とのニュースがありました。

先日も、USで「中国製品を使わずに生活することを試したら、どれだけ中国製品に囲まれていて、それなしには不自由かということがわかった」という記事を読んだばかりです。

日本でも、中国から輸入したものなしに生活することは、とても不自由なことなのでしょう。そうはいっても、食べることは生きることであり、また、生きものの生命を頂くわけなので、できるだけ自然に近い形で頂いて、ありがとうと言いたいものです。
そして、いつまでも安全でおいしい鰻を楽しめますように!

2007年7月11日水曜日

Secret

先日、5年ぶりに会ったアメリカ人が、アメリカではSecretというのが大流行だと言っていました。
ちょど字幕付きの紹介ビデオがあったので見てみました。
http://jimaku.in/w/_b1GKGWJbE8/ae1POlJjQMK




メッセージは、

  • 引力の法則 Law of Attraction が誰にも作用している。


  • 自分の意識が、引力となって現実を引き起こす。


  • 偉人たちは、この秘密を知っていた。


  • ネガティブなことを考えていると、さらにいやなことを引き寄せる。


  • あなたの思考と感情があなたの人生をつくっている Your thoughts and your feelings create your life.


  • Feeling good がさらに良い気持ちを引き寄せる。


とても精神的な内容に思えますが、映像がおもしろくて、引き込まれます。

Jimaku.in というのもこれを機に初めて知りましたが、おもしろいサイトですね。

2007年7月10日火曜日

感情労働

恩師に、感情労働について教えてもらいました。

Wikipediaをみると、


  • 感情労働(かんじょうろうどう、Emotional Labour)とは、身体や知識だけでなく感情の移入を必要とする労働作業を意味する。

とあります。



介護やフライトアテンダントなどが代表例とのことです。

テクノロジーのたすけによって、人間がより人間らしいことにフォーカスできるようになっていくと、この感情労働という労働にフォーカスがいくのではないかと思います。

案外、新しい領域で、これから多くのことがわかってくるのかもしれません。

感情労働とテクノロジーとの交わりがどうなっていくかも、とても興味深いことです。

2007年7月9日月曜日

BBQ名人

週末に、こどもの関係で、BBQのお集まりがありました。
親の中に、BBQ名人と呼びたくなる人がいて、その手際良さに感心しました。
アルミホイルを活用して、じゃがいもやさつまいもやキャベツ半切り、きのこなどを包んだ物をあらかじめ用意し、それほど大きくない鉄板のまわりにしきつめ、エビやエリンギ、トウモロコシをさっと炒め、20人ほどもいる幼児たちにまず腹ごしらえをさせ、おとなたちがゆうゆうと肉を楽しむ。プロです。
段取りのいい職人技をみると、こちらまで気持よくなってきます。
なにごとも、一流の人はたいしたものです。

2007年7月6日金曜日

七夕に夢を

スポーツクラブに行ったら、笹の葉に短冊がたくさんかかっていました。
「5kgやせる」というたぐいから、「上を見て働き、下を見て暮らす」というまであって、けっこう楽しめます。
人は、願い事をもっていると、それだけで幸せの裾をつかんでいると思います。
笹の葉の短冊でも、神社の絵馬でも、自分の日記や手帳でも、enabLifeでも(!)、人の数だけの願い事が書かれていくと、書かれただけ未来へのエネルギーがわきます。きっと。

2007年7月5日木曜日

借金世代とインターネット革命

このごろ、2つのブログを見て、ちょっと考えこみました。

1つは、Generation Debt (借金世代)についてのものです。1989年以来USで増えた富は、55歳以上の世帯主の世帯に帰属し、若い世帯はかろうじてインフレと同等か、富を増やしてはいない。若い世代は、教育期間も長くなり、婚期も遅くなり、不動産をもとうにもすでに高騰しており、年金制度等を含むSocial Benefitにおいても負担が増している、という話です。ここで紹介されているUSA Todayの記事について、enabLifeでも「時代」として記録しました。
→ 米国、1989年以降に創造された富は、55歳以上の人たちへ

もう1つは、GoBigNetwork というビジネスSNSを運営しているWilといういきのいいおにいちゃんのブログです。
30歳を超えたら失うもっとも大切なもの
MyspaceやFacebookで高校の同級生がどれだけ登録しているかをみたら、1992年の自分のクラスではたったの1人(それも自分!)、2007年のクラスをみると251人全員。いまの世代は、この文化的現象にどっぷりつかっていて、誰かと協力し合うということを意識するまでもない、ということを言っています。

これまでの経済・社会のあり方が構造的に変わらなければ、ベビーブーマーもしくは日本の団塊世代から20歳代を中心とする若い世代への富のシフトは起きにくいでしょう。
その構造を変える(可能性をもっている)のが、インターネットであり、若い世代はインターネットでのネットワーキングや行動様式が息をするのと同じぐらい自然にできる世代だということです。
意識しないと(あるいは意識していても)行動様式の変化が遅い世代と、過去にとらわれない(あるいは知らない)世代。
インターネット革命が、次の世代に、いまはない形の幸せをもたらすことを願っています。

2007年7月4日水曜日

意志と意思

意志と意思ということばをあまり区別せずに使っていました。

広辞苑をみると

「意志」

  • (哲)道徳的評価を担う主体。理性による思慮・選択を決心して実行する能力。知識・感情と対立するものとされ、併せて知・情・意という。
  • (心)ある行動をとることを決意し、かつそれを生起させ、持続させる心的機能。
  • 物事をなしとげようとする、積極的な志。

「意思」

  • 考え。おもい。

夢をもって、夢に向かって行動し、決めたことをやっていく。その状態やそれをささえる力が「意志」。
夢の中にこめられた願い、「こうあってほしい」というイメージ、それが「意思」。

これからは、そういうふうに使い分けていきたいと思います。

ちなみに英語でいうと、意志がwill、意思がmindということのようです。

2007年7月3日火曜日

iPhone 狂想曲

2007年6月29日にUSでiPhoneが発売開始となりました。
Windows 95が発売されたとき、秋葉原で長蛇の列でしたが、今回はAppleに長蛇の列です。
いま、もっともHotな会社という証明です。
以前に、Macは大好きだけども、カスタマーサービスとのやりとりでひどい経験をしたことがあり、嫌気がさしてMacを離れました。
いまはiPodを使っています。
「iPhone 衝撃のビジネスモデル」(岡嶋裕史著 光文社新書)によれば、コンピュータの歴史において進歩が停滞しているユーザーインターフェイスの部分を革新するのがiPhoneということです。

Appleは、商品が時代の先を示していて大衆受けすれば、ほかもすべて輝いて見える、というお手本のような会社です。なんとも、不思議な存在です。

2007年7月2日月曜日

ソーシャルコンピューティング

久しぶりに恩師と飲み、いまごろソーシャルコンピューティングという言葉を知りました。
Wikipediaをみると、
Social computing is a general term for an area of computer science that is concerned with the intersection of social behavior and computational systems.
とあります。社会的な行動様式とコンピュータシステムとの交わりに関するコンピュータ科学の領域とのことです。
まさに、この領域がこれからの変化の中心にあるように思います。新しい試みがどんどん出てきて、目が回るほどです。
ソーシャルコンピューティングという奥深い言葉の意味と可能性を追いかけていきたいものです。

いやはや、それにしても、恩師はいつまでも偉大です。

2007年6月29日金曜日

イライラ

どうしてもイライラしてしまうときがあります。
イライラしても何も好転しないことはよくわかっているのに、イライラの虫が活躍するのです。

イライラするのはどんなときでしょうか?

  • なにかにとりかかっているのに、次から次へと「なにしてくれ」と言われる
  • こどもがうるさく騒ぐ
  • 頭がぼーっとしている(寝起き、二日酔い、暑い)
  • 考え事をしているのに中断される
  • こどもが時間になってもグズグズ支度をしている
私の場合、こんなところでしょうか。
多くは、「はやくしなければ」「いそいで片づけなければ」と思うからこそイライラしてしまうようです。
ちょっと深呼吸して、「ま、いいか」「ケセラセラ」と言うようにしてみましょうか。

2007年6月28日木曜日

会社とパソコン

ITバブル崩壊後の日本経済のどん底のころ、金融界のある会社のコンサルティングの仕事をしていました。かなりきびしい業績の中で、思い切った改革を計画し、進めようとしていました。
ある会議で、「わが社の人材にこれから必要な技能はなんですか?」と問われ、「パソコンのリテラシー(パソコンを使いこなす能力)です」と答えました。顧客の資産運用をプロとして助言する会社において、テクノロジーを活用しきることが当然と考えたのです。しかし、会議後にこの質問者が激怒していると聞かされました。私の回答が、あまりにも当たり前に思えたのでしょうか。メールを見るとか、その程度のことは誰でもやっている、ということでしょう。会社から提供される情報を加工し、プレゼンテーションする、といった能力を社員に求めることに気が回っていないのかも知れません。

これは一例ですが、企業社会でパソコンは「自分の能力を拡大するツール」というよりも、「管理される道具」という位置づけになっているように思います。これは不幸なことです。Appleは、パソコンを世に送り出すときに、Computers for the rest of us という標語をかかげました。これは、1980年代当時、パソコンは高度な技術知識をもつ一部の人の道具であったのですが、それを誰もが自分をEnhanceする(能力を高める)ツールとして変身させたい、という宣言だったのです。
約20年が経って、どうでしょうか。企業社会では、洪水のような伝達メール、内部統制のための記録の仕組みなどがパソコンに載せられ、パソコンに向かってそれらを処理することが仕事になっています。

人間本来の創造性を増幅させてくれる友だち。パソコンもそうなりたいと思っていることでしょう。

2007年6月27日水曜日

YAHOO! FINANCE

YAHOO! FINANCE のUSサイトは、なかなか面白いです。

Yahoo! Finance Videos で見るいろいろな分野の人のコメントは、その激しさに驚くとともに、新鮮です。強気論者と弱気論者の激しい討論など、日本人には考えられないような激しさです。また、いろいろな領域の専門家が出てくるのも興味深いです。職が実に多様です。

Top Financial News 欄のいろいろな記事も、中には面白いものがあります。先日は、「ビリオネアと結婚する方法」まであって、笑えました。こういういのを真剣に書いていることがすばらしいです。さすが機会均等の国です。

ちょっと、負けていられないなあという気持ちに、見るたびにさせられます。それにしても、教育から変えないとなかなか・・・。

2007年6月26日火曜日

ネットは社会にプラスか?

日本経済新聞に、日米中のインターネット利用者1.2万人を対象にした調査について載っていました。
(日本1万人、米中各1千人)

  1. 「ネットはあなたの生活をより良いものにしていますか?」に対して「良くしている」または「どちらかといえば良くしている」と答えた人の母集団全体における割合
    日本90.8%、中国95.4%、米国80.1%
  2. 「ネットは社会をより良いものにしていますか?」に対して「良くしている」または「どちらかといえば良くしている」と答えた人の母集団全体における割合
    日本53.4%、中国93.2%、米国65.7%

社会をよくしているかどうかについて、中国は肯定的、日本は半分近くが懐疑的という結果です。

中国は、昇り竜状態であり、いままでの情報格差による統治が崩れたことにより社会が開かれてきたと実感できるで、肯定的傾向が強いのかな、と思います。

一方で日本は、メディアを中心に、出会い系や自殺サイト、2ちゃんねるによる中傷、IT長者批判など、負の側面が強調されるために、懐疑的傾向が強いのでしょう。

ネットの特性は、文字通りネットワーキングであり、いままでであればありえなかった個と個のつながりによる「なにか新しいもの」の創造の可能性を秘めています。未来において、ふとふりかえると、「ネットがもたらしたもの」の大きさに驚く。ネット社会大革命。そういう歴史を創りたいものです。

2007年6月25日月曜日

医療とテクノロジー

胃カメラを飲みました。
3か月前は口から、今回は鼻から。
内視鏡使用の目的によって、口からと鼻からで長短あるようですが、検査を受けるほうからすると、鼻からだとずいぶん楽でした。
いつから導入されているのか知りませんが、きっと医療の世界のテクノロジーもどんどん進化しているのだろうと思います。
テクノロジーが人の幸せに貢献する代表領域は、なんといっても医療ですね。

2007年6月22日金曜日

感じる心

人が人である理由、それは感じる心があることだと思います。
日々の思索。映画を見たり本を読む。風景を眺める。音楽や絵を楽しむ。
心が刺激され、脳が快感をおぼえる。
だからこそ人間なのでしょう。

「忙」は心を亡くすと書くように、世の中の変化の速度と感じる心の度合とは、反比例する傾向があります。
ふと立ち止まって、自分の感じる心のチェックを定期的に行いたいものです。

2007年6月21日木曜日

オフショア

よる、あるセールスの電話が、シンガポールからかかってきました。
かなり上手な日本語ですが、回線の具合か、何度も聞き返してしまいました。

それにしても、最近ではコールセンターに電話しても相手は日本人とは限らず、オフショア化の流れを実感します。
ほぼ同等のアウトプットであれば、より安価で労働力豊富なところに流れていくのは自然なのでしょう。
一方でオフショア化するこちら側も、自分たちにより高付加価値の部分を磨くように、求められているわけです。この絶え間ない変化が、心強くもあり、そのいきつく方向性にやや不安を感じるところでもあります。

2007年6月20日水曜日

ブログにおける露出

資産形成関係のブログをみていると、個人が資産内容の変遷やポートフォリオまで公開している例があります。
有言実行で、公開しながら自分を激励しているのかな、などと思います。
あるいは、自信があるのかもしれません。
小説家を志した人が、「銀座のまんなかですっぱだかになるだけの勇気があるか?」と問われたという話を読んだ記憶があります。
インターネットのない時代、本を出すということは、自分を世の中にさらけだすことだったのでしょう。
いまは、驚くほど手軽に世界中に自分を発表できます。
インターネット上での個人の時価総額(金融資産ではなく、個人の人生の集積のようなもの)という新しい価値観も出てきています。
「さらけ出す=恥」から「露出=自己実現のひとつのありかた・手段」というように意識が変わっているのかもしれません。
インターネット時代に、個人のありかた、生き方が変わっていかないほうが不思議なのでしょう。

2007年6月19日火曜日

無からつくる快感

なにもない白紙の状態からなにかを創るというのは、なかなかの快感です。

コンサルタント時代には、数時間後・数日後にクライアントにレポートを出さなければならないが、目の前にあるのは白紙、ということがよくありました。
これはけっこうなプレッシャーです。でも、一方で「やってみせるぞ」という意欲もわきます。そして、「いまは白紙だけれども、どんなものができているのだろう?」とワクワクします。
もちろん、夜中に小人たちがいつのまにか靴をつくってくれているというイソップの寓話のようなことは起きず、自分が苦労してうみだすのですが、自分でも予想ができないのです。

いまは、頭の中にもやもやっとやりたいことがあって、やはり白紙に近い状態です。なにができるか、わくわくしています。これがあるから、人生やめられない・・・?

2007年6月18日月曜日

夢と現実

今朝、明け方に夢を見ました。
会議室にすわると、机の向こうにビル ゲイツがすわっているのです。
白髪交じりのビルは、「お前は将棋は強いのか?」と聞いてきます。
こちらが逆に「将棋のソフトもけっこうあるけど、やったことあるか?」と聞くと、ニヤリとしてうなづきました。
窓からの西日がまぶしいのでブラインドをおろしたら、光をよけてすわっていたビルが、すわりなおしたりとか、妙に映像がなまなましく記憶に残っています。
脳の構造がどうなっているのかわかりませんが、SFにあるように、脳になにかしらの作用を及ぼすことで、記憶を書き換えることは可能なのではないか、と思ってしまうほどです。
それほど、まだ記憶に焼き付いている夢でした。
脳の書き換えができるとすれば、個性や「自分が自分である理由」をどこに求めればいいのか、ちょっとこわくなります。

2007年6月15日金曜日

欲望 desire

欲望という言葉は、あまり良い響きではないように思います。
しかし、「やりたい」ことがあるというのは、幸せなことだと考えます。
やりたいことがあるから、その達成のために努力する気になるし、気もはるというものです。
どんなに恵まれていても、「やりたいこと」がなくなってしまったら、心が空虚になるのではないでしょうか。

もちろん、程度問題はあります。際限なくブランド品を買い集める人などは、欲望によって自分をドライブしているというよりは、欲望中毒になっているのでしょう。

それでも、「欲望=ゴール達成願望」とうまくつきあうことが、人生を豊かにするコツのように思えてなりません。資本市場も、欲望があるから成り立っているのです。
「制御のきいた欲望」が未来の創造のキーワードだと信じています。

2007年6月14日木曜日

英略語

英文の書きものに、AFAIKとあり、なにかと思ったらAs Far As I Know - 私の知るかぎり - という意味でした。
どうもこの手の略語が多いように思います。書く上では、文字数が減ってよいのでしょうが、「新入り」への洗礼ではないかと思うぐらい、わからないです。

FYI (For Your Information - ご参考まで)なども、使うと便利なので、慣れてしまうと使ってしまうのでしょうね。まさに業界(?)用語。

2007年6月13日水曜日

ゆうちょ銀行基幹システム

今朝の日本経済新聞で、ゆうちょ銀行の基幹システムがNTTデータ・日立製作所連合から調達、との記事を読みました。
旧UFJ銀行のシステムをベースにしているそうです。
もともと、東京三菱銀行とUFJ銀行の合併の際に、リテール向けにはUFJ側のシステムのほうが進んでいるという話があったそのシステムです。
NTTデータとしては、「単独の商談としては採算割れ」だが、今後の大型調達をにらんで落札とのこと。
日本国IT部門としてのNTTデータと日本国民のお金の窓口「ゆうちょ」の蜜月が続きそうです。
民間会社として、IT投資力を鍛え、優れたサービスを出していってほしいものです。

個人的には、もしもベースとなるシステムが優れていて、お蔵入りになっていたのであれば、それがまた日の目を見て顧客サービスが向上するのはいいことだと思います。期待しています。

2007年6月12日火曜日

県人会

学生時代、「県人会の集まりがあった」とか、「県人会の寮に住んでいる」とかいう人がけっこういて、うらやましかったものです。私は神奈川県出身で、神奈川県人会というのはピンときませんでした。聴講しているクラスの大学生たちのほとんどが、県人会という言葉を知らないというので、驚きました。

これは、江戸時代の藩制の名残のようにも思える県という単位の帰属意識が弱まっているということなのでしょうか。それともたまたまこのグループが知らなかったのでしょうか。

それにしても、「『けんじんかい』の『けん』は、都道府県の県ですか?」と聞かれたのは、ちょっとショックでした。

2007年6月11日月曜日

本と映画

「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」をまず本で読み、次に映画を見ました。
原書と違う部分が多く、戸惑いました。一方で、風景の描写など、映画ならではの部分もありました。
ただ、原書で自分が共鳴したり感動した部分が端折られていたり、変えられていたりすると、やはり残念です。
一例をいえば、オカンが死んでからあけろと言った箱には、やりくりをしてためた貯金の通帳があり、その伏線としては苦しくて年金保険料を払えなかったので年金はもらえない、作者がそのような年金制度に怒る、というくだりが本にはあります。そこに、母親の生きる力と子への愛情の強さを感じてジワーっと心にしみました。映画では、母からの手紙(ノート)を大きな箱の中から取り出して読むだけです。

以前にも、フレデリック フォーサイスのスパイ小説が好きで、「戦争の犬たち」という作品がとりわけ好きでしたが、その映画というのを見て、あまりのひどさにあきれ、怒りをおぼえたことがあります。


一方で映画は映画で、すばらしい脚本による偉大な作品が多くあります。
それらの解説本は、あくまでも補助的なものでしかありません。
やはり、本と映画は別物と思ったほうがよさそうです。

2007年6月8日金曜日

研究

研究というのは孤独な仕事であり、研究者というのは目標にむかってぶれない意志をもつ人なのだろうなあと思います。

自分でサイトを運営していて、技術的に課題があると、あの手この手で試行錯誤したり、Web上で同様の事例を調べまくります。たいがいは、とっかかりがあって、「やりぬく」という意志があればなんとかなります。ある意味、人間がつくったテクノロジーの上で課題解決をするので、答えがあって当たり前です。

しかし、生物学、自然科学、物理学的、その他どんな分野があるかすらわかりませんが、それらは誰も答えを知らない世界での研究でしょうから、想像を絶する孤独さだと思います。ある仮説をたてて、何年も研究して、それがNGとわかればまた1から組み立て直す。文明の進歩が、そうした意志の積み重ねによって支えられていると思うと、ありがたいことだと思います。

もしも、この世から研究材料がなくなったとしたら、そのときがすべての終焉なのかもしれません。ゴールが見えなくても、研究対象があるから、人類が人類足りえるのかも知れません。

かくいう私も、研究というにはほど遠いですが、毎朝「きょうはXXの課題をやっつけるぞ」と思うからこそ、1日にはりあいがあり、ときにはくじけそうになりながらもやれているのだろうと思います。もしも取り組む課題がなくなったら、きっと人生灰色だろうなあと、ぞっとします。

2007年6月7日木曜日

3分間

なぜ3分間なのでしょうか?
カップラーメンの標準的な待ち時間も、ウルトラマンのカラータイマーも。

私は、朝に瞑目というのをしますが、これも3分間がちょうどよい気がします。
パソコンの合間の休憩の眼の体操も3分間です。
それぞれ、腕時計のタイマーが3分間になっていて、ボタンをひとつおすだけで3分間はかって鳴ってくれます。

たぶん、「3分がちょどよい!」というすりこみがされてしまっているのでしょう。
でも、ひょっとしたら睡眠に90分のサイクルがあるように、3分間というのも体のリズムにあった単位なのかも・・・。

2007年6月6日水曜日

盆栽

先日、たまたま通りがかって、盆栽展というのをふらりとのぞいてみました。
盆栽というと、サザエさんに出てくる映像のイメージぐらいしかなかったのですが、この展示会の作品はどれも見事なものでした。
まったく知識のない私から見ても、それぞれに味わいがあり、見入ってしまいます。
枝の曲がり方、表皮の渋い枯れ方、全体のバランス。意図してそのようにもっていったものもあれば、自然に見事な形になったものもあるのでしょう。
歴史のあるものには、底知れない奥深さがありそうです。

2007年6月5日火曜日

翻訳

展示会の英文パンフレットを日本語に訳しました。
親戚に竹アーティストがいて、彼の海外での展示会のパンフレットをもらったご両親が、どんな内容か知りたいということだったのです。
直接会う機会はまだないのですが、彼の活動の軌跡がわかって興味深かったです。
それにしても、A4で4ページほどの分量に、ずいぶん苦戦しました。
翻訳というのは、実に大変な労働です。
何気なく読んでいる訳書の訳者の方々に畏敬と感謝の念がわきました。

インターネット上でも、機械翻訳の試みが進んでいます。
調べ物をしていても、Googleであれば検索結果が翻訳されるし、ブラウザ上で単語の訳も表示されます。Microsoft TechNetでも「TechNet 試用版 機械翻訳コンテンツ」として「日英併記・英語のみ・日本語のみ」の切り替え表示ができます。
どこまで質が追いつくのか、楽しみです。

2007年6月4日月曜日

ごみ拾い

朝はやく目覚めたとき、家の裏などにおちているごみを拾うときがあります。
けっこう、やりだすとやみつきになって、朝から気分爽快です。
ちょっとでも落ちていると、捨てるほうも捨てやすいのでしょうから、きれいにしておきたいものです。
拾うゴミが減ってくると、なんだかさびしくなってきたりします。
聖路加国際病院院長の日比野重明さんが、朝のごみ拾いがちょうどよい腰痛体操になると言っておられましたが、もしそうであればいいことだらけですね。

2007年6月1日金曜日

特殊的能力

6月1日の日本経済新聞紙朝刊に、「公務員制度の改革」として「公務員にやってもらうのは、民間にはできない、公務特殊的な能力を要する仕事に限定していくべきだろう」「改革の中心は、職業生活の最後まで、安心して公務員として仕事をしてもらえる制度をつくることであるべき」とありました。

「人的資本」の観点からの論ですが、得心がいきました。いまの世の中は、ガッツと能力があり、リスクをおそれない人には、無限のチャンスがあります。わざわざ、硬直化して見返りも少なく、Respectもないような場にはいきません。いかに将来を担う人材を特殊的能力を要する仕事に導くか。マクロ的にはとても優先度が高い課題だと思います。

すぐに思い浮かぶのは、外交官、教員、国の予算や交通などのデザインの仕事です。
これらの職をささえるような制度とともに、Respectを集められるように、主体者(これらの職についている本人)・メディア・教育などが、いろいろな場で「特殊的能力」の重要性と国民としてそれを支えるという意識づけが必要でしょう。不祥事にばかり目がいくようでは、自分で自分の首をしめているようなものだと自省します。

2007年5月31日木曜日

夕陽

こどもを保育園に迎えに行くと、山の上に真っ赤な夕陽が。
なんだかとても大きく見えて、感動してしまいました。
古来、ご先祖様たちもこの夕陽を見てきたんだなあ、何を考えて1日を終えたのだろうか、などと思いをはせてみました。
お天道様にめぐまれて、勿体ないことです。

2007年5月29日火曜日

生命の重さ

現職の大臣が、政治資金疑惑の渦中に自殺しました。
昔は「末は博士か大臣か」というほど、誰もがうらやむゴールに立った人の生命が、一般的にみれば無念な形で消えたわけです。
こどもたち・若者たちが、どう受けとめるのかと思うと気が重くなります。
「生命ってどのぐらい大事で重いのか」、「どういう人生が幸せな人生なのか」といったことに関連した疑問がわいて、「何をゴール・価値基準にしたらよいのか、わからないよ」と言われても、返すことばがなくなってしまいます。
希望・前向きな気持ちを起こさせるロールモデルがもっともっと増えていかないと、未来へのエネルギーが減っていってしまいそうです。
「間違ったら、素直にみとめてあらためる」、「生きていられることがありがたいことなのだ」、「年長者は、次世代の人たちのためにいる」、といった、先人達が言い続けてきたシンプルなことばを、かみしめるように言い続ける覚悟がいるのでしょう。

2007年5月28日月曜日

一日一言

今年の2月から、自分がいいなあと思ったことばを、「エネーブライフなきょうのことば」として平日に1つずつ投稿しています。
先日、図書館でふと「一日一言 -人類の知恵-」(桑原武夫編 岩波新書)をみつけました。1956年12月10日第1刷発行 2005年4月5日第72刷(!)発行です。
このようなことは、誰でも考えることでしょうから、いろいろな人がやっていて当然ですが、桑原武夫氏のような大家からのロングセラーがあったことを今頃知った次第です。
大家を仰ぎ見つつ、コツコツやっていきます。

2007年5月25日金曜日

読書百篇

人の講話をCDで聞いたり、手引書や指南書などを本で読みます。
一度読んで、わかった気になりますが、何回も聞いたり読んだりして、「ああ、そういうことだったのか」と思うことが何度もあります。
情報過多の社会にあって、本は流し読み、それで知識を得た気になってしまいます。
でも、それが地となり肉となっているかというと、そうでないことが多かったりします。
読書百篇 意自ずから通ず
肝に銘じておきたいと思います。

2007年5月24日木曜日

地球を走るカップル


前にいた会社の同僚だった外国人カップルが、休職して世界各地のマラソンに参加しながら、地球をまわっています。

感心したのは、募金をよびかけながら走っていることです。なんでも、タンザニアとケニアのHIV/AIDS孤児たちを援助するNPOへの募金だそうです。また、そのようなサイトがあるというところがインターネットの可能性を示していると思っています。

そのサイトでは、募金の申し込み、募金者たちのコメントや応援メッセージ、本人たちのブログなどをみることができます。



今週はどの国でどうしているかな、などとのぞいてみるのも楽しみです。インターネットのおかげで、地球が小さくなりました。

2007年5月23日水曜日

スイマセン

日米の比較文化論の中で、「謝る apologize」についての考え方の違いがあります。
日本人は、「まるくおさめる」ためにまず謝る。アメリカ人は、「『謝る=非を認める』ことであり、それに至るには十分かつ妥協のない議論がなければならない」と考える。
私の経験的には、日本人は「スイマセン」を多発し、アメリカ人はThank youを多発します。
スイマセンは、ありがとう的な意味までもっていて、なにかちょっとしたことへのお礼には「ありがとう」というと大げさで照れくさく、スイマセンというように思います。あいさつも、「スイマセン、いつも」などと始まったりします。一方で、はっきりと「どうもありがとう」とか「ありがとうございます」というのは、よほどかしこまったシチュエーションになるのではないでしょうか。
一方で、アメリカ人(そして他の多くの国でも)は、ちょっとしたことにThank youというのを惜しみません。レストランで水をついでもらっても、道をゆずってもらっても、家族での食事でなにかとってもらったときでも。
それぞれ文化ですから、どちらが正しいということではありません。でも、やっぱり言葉の本来の意味どおりに使いたい気がします。

2007年5月22日火曜日

インプット、アウトプット

私には、インプットとアウトプットの波があるように思います。
ひたすら本や映画や人の話を聞いて、自分の中にエネルギーをためる時期と、ひたすらものを書いたり、話したり、なにかを創ることに情熱をもつ時期です。
思えば、これまでこの2つの波のくりかえしで、ほかの人からみれば多重人格的なわかりにくい人間であることでしょう。社交的かと思えば人嫌い、活動的かと思えば引っ込み思案、多弁かと思えば寡黙。
自分なりには、この組み合わせでバランスがとれているのかなあと思いもします。

2007年5月21日月曜日

日高山伏物語

小学生のころ、椋鳩十が好きで、図書館の本をかたっぱしから読みました。 その中でも、「日高山伏物語」がお気に入りでした。 ケチンボの山伏どのの、つきぬけたケチぶりの小話集です。 ケチを揶揄しながらも、ものを大切にすることを教えてくれる本でした。 先日、こどもに読ませたいと思って、探し出して渡したら、まったく関心を示さず、感想もありませんでした。環境の違いなのか、時代に合わないのか。なにか感じてほしいものです。

2007年5月18日金曜日

とんち

お笑いブームが長く続いていますが、とんちという言葉を一向に聞かなくなったように思います。
一休さんとか、曽呂利新左衛門(そろりしんざえもん)とか、とてもウィットに富んでいます。
年寄りのひがみか、どうもお笑いブームのお笑いは表層的であり、加虐的であり(誰かを標的にして攻撃的に笑い物にする)、「みんなが笑うから私も笑う」的であるように思えます。
心の底からジュワジュワっと笑いがこみあげるような「とんちブーム」に期待です。

2007年5月17日木曜日

もう8年半ほど、河のそばに住んでいます。けっこう大きな河で、ゆったりと流れています。 一昨日から鮎釣りの解禁ということで、釣り人でにぎわっています。 昨日は、週に1度通っている大学の教室の窓から、新緑にはえる河の風景を楽しむことができました。

ありがたいことです。
このようなすばらしい環境に、もっと働いたり学んだりする場所ができるといいなあ、と思います。いまのところ大学1つだけです。

2007年5月16日水曜日

I/O

私のコンサルタント時代の上司に、ものすごい技術屋がいました。

東大在学中からITの会社を友人とつくり、先端技術を熟知。MicrosoftのWindowsがまだ普及していない当時に、自分のマッキントッシュを会社に持ち込み、改造しながら使っていました。どんな技術的難問にも即答し、どうみても1日20時間は働いていました。一説によれば、彼が夜中にさすがに疲れをみせたと思いきや、「うーん、これはいかん。電池を交換せねば」と言って、自分の腕をパカッとあけて電池を交換したというほどでした。

あまりにも頭の回転が速くて、言っていることが、考えていることのはるか後から出てくるので、なにを言っているのかわからないことがよくありました。「あの人はCPUにI/O(Input/Output)がついていっていないよね」と私たちは言っていました。

最近、私もやりたいことがなかなかすぐに形にできず、忸怩たる思いをすることがあります。でも、私の場合は、CPUが速いからではなく、I/Oがあまりにも貧弱・微力だからですが。

最近あまり聞かないコンピュータ用語のI/Oで、ふとそんなことを思い出しました。

2007年5月15日火曜日

中国パワー

Googleで調べ物をしていて感じるのは、特にマイクロソフトの技術関連の検索結果に中国語の内容が目につくことです。
読めないので内容はわかりませんが、英語のキーワードからするとかなり深い内容のように思えます。
ITにおける中国の躍進を肌で感じてしまいます。

2007年5月14日月曜日

そそっかしさ

今朝、こどもが登校班の集合時間よりもすいぶんはやく家を出たと思ったら、水筒を忘れていました。彼らよりも少し遅れて出て、その水筒をもっていってあげた彼らの妹は、別のものを忘れていました。
しかたなく、事務所へ行く途中に回り道をして学校へ忘れ物を届けてやりました。ふだん通らない河沿いの道を通ることになり、好天のもと、すがすがしい風景を見ることができました。失敗のおかげの副産物です。
私もそそっかしくて、いろいろ失敗してきました。でも、「なにか新しい体験をするきっかけ」と思うと、不思議とそういう体験をできたような気がします。そそっかしい性格は、なんとかしたいものですが。

2007年5月11日金曜日

enabLife! 始動

2007年5月9日(ごくうということで、孫悟空の日らしいです)に、サイトenabLifeをローンチしました。まだまだ内容面はこれからですが、まずはプラットフォームができました。
ワタミやGMOの創業者が言っておられるような、「夢を手帳に書いて実現する」ということに共感したこともあります。また、自分なりに、インターネット革命を個人の幸福に役立てたいという思いもあります。そして、運の良い自分の人生においてお世話になったこと、学ばせていただいたことを自分なりに咀嚼してアウトプットする手段でもあります。ネットワーキングであったり、e的なネットワークやデータベースであったり、Management by Objectivesであったりです。
少なくとも自分というユーザーは生きている限り存在するので、「継続」を最上の命題として進化させていきたいと思います。

2007年5月10日木曜日

思い出横丁

リリー・フランキ-の「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」をいまごろ読みました。上京した母においしいものを食べさせようと思ったけれども、気のきいたレストランを知らず、行きつけの思い出横丁のつるかめ食堂で乾杯した、というくだりがあり、思わずなつかしくなりました。
学生のときに、私もずいぶんとお世話になったものです。たしか音羽食堂というのもあって、納豆定食が290円とかで、よく栄養補給したものです。
思い出横丁、いつまでもあってほしいです。

2007年5月9日水曜日

ディスカッションリーダー

大学生10数人を相手に、ディスカッションリーダーをつとめました。
題材にしたかった本や映画を読んだ/見たことある人?と聞いても誰もいなくて、あせりました。世代のギャップでしょうか。
ひさしぶりに、緊張感のあるひとときでした。大学生の眼が、ぎらぎらしているようだといいなあ。もっとも、20年ほど前の自分の学生時代を思えば、そんなことを言う資格はありませんね。

2007年5月8日火曜日

Googleさまさま

サイトの準備をする中で、技術的に苦労しています。
Googleで、似たような事例をさがすことで、ずいぶんと助けられています。
きのうも、1つ悩んでいたことが、ドンピシャの記述をみつけて即座に解決して、思わずガッツポーズでした。
地球をおおう偉大なる知識空間の恩恵なしには、ここまで来ることはできなかったでしょう。生産性を大いに助けてくれているGoogleと、Web空間に知識を貢献している人たちに感謝です。

2007年5月7日月曜日

知らない町

連休の混雑の中、父のいる三重へ家族で出かけました。
知らない町を歩くのが好きで、銭湯をみつけ、入りに行きました。
知らない町で、いいお湯につかると、なんだか幸せな気持ちになります。
日常と非日常のバランスを身体が求めているのでしょう。

2007年5月2日水曜日

根切り

連休に、庭の雑草を徹底的にぬきました。
根が張っていてしつこいのですが、今回は根を切るカッターのような道具を新兵器として投入しました。
そのおかげで、とてもはかどりました。
あらためて、道具を選ぶことの大切さを実感。
それにしても、草木や土をいじっていると、頭のなかがからっぽになって爽快です。
家のまわりにはうっそうとした新緑。最高!

2007年5月1日火曜日

古巣

先日、古巣の仲間たちのとあるお祝いの場に呼んでもらいました。
約半年ぶりに会うのに、ついきのうも一緒にいたような感覚です。
それぞれに、変化あり、変わらぬことあり。
いっしょの時間を共有できたことに、深く感謝です。

2007年4月27日金曜日

新緑

新緑のあざやかな季節です。
車で両側が林になっている道をいくと、思わず歌いたくなります。
このあざやかな色に、生命の躍動を感じるからでしょう。
20年ほど前に、自転車で四国をいまの季節にまわり、山々の緑に感激したことを思い出します。

2007年4月26日木曜日

勿体ない

大学の比較文化論を聴講していて、「勿体ない」という言葉についてあらためて考える機会をもらいました。
広辞苑によれば、勿体とは「物の本体」であり、勿体ないとは「ものの本体を失する」という意味だそうです。複数の意味がある中で、「過分のことで畏れ多い。かたじけない。ありがたい。」という意味があります。
お年寄りの方が、なにかよいこと(贈り物をもらったり、親族にめでたいことがあるなど)があると、「もったいないことだ」と言います。宗教学者の人が書いた、日本人の自然観、無常観として知らず知らずのうちにしみついた感覚だ、という文章を読み、なるほど深い背景があるなあと思った次第です。
私がやりたいのは、勿体ないのもうひとつの意味(より一般的に使われる意味)である「そのものの値打ちが生かされず無駄になるのが惜しい」という感覚をベースとして、「あるものを活かす」ための基盤をつくることです。それが実は、「かたじけない。ありがたい。」にも近いなあ、などと思っています。

2007年4月25日水曜日

祭りのエネルギー

先週末に、八重桜の下で行われる祭りに行きました。商店街がたくさん屋台を出していて、どれもおいしくて楽しいひとときでした。
人がたくさんいて、みんな飲んで歌って楽しそうで、祭りのエネルギーをもらいました。
祭りは、いいものですね。

2007年4月24日火曜日

歩数計つきの携帯電話

携帯電話をドコモのらくらくホンⅢという機種に変えました。
歩数計がついているのが、いまのところこのシリーズだけということで、買ってみました。
このシリーズは、年配の方を対象にしているらしく、表示される字もボタンも大きく、操作もわかりやすいので、とても使いやすいです。
ユニバーサルデザインの大切さを実感しました。
もっとも、私が、このシリーズの対象の年齢層に仲間入りしたということもあるのでしょうね。

2007年4月23日月曜日

顧客満足度

4年近く使っていたノートPC(PanasonicのLet's Note)にうれしいサービスがありました。Let's Noteの販売10周年記念ということで、PCリフレッシュサービスというのを無料で受けられました。手垢に汚れたキーボードは新品になり、動作確認等もしてくれて、感激です。電源コードもダメージがあって交換してくれました。
製品そのものも満足度が高かったのですが、アフターケアにまた感動。商売の王道ですね。この会社の株主で居続けよう、とあらためて思った瞬間でした。

2007年4月20日金曜日

レコメンデーション Recommendation

データマイニング(Data mining )手法により、顧客の購買履歴や取引履歴を分析して、ヒット率の高い販促をすることが一般的になりました。Amazon.comの「この本を買った人は、こんな本も買っています」表示などです。
データマイニングが進化していくと、「あなたが自分で認識しているよりもさらに正確に、あなたのほしいものやあなたに適したものを探し出します」という笑うに笑えないジョークまで出てきます。こうなると、もはやビッグブラザーに心まであやつられているような状況でしょう。
情報化社会の進展は、自我・自由意思を鍛えていかないと、とんでもない方向に行きかねないものです。

2007年4月19日木曜日

郵便局会社

今朝の新聞に、郵便局会社が顧客管理をSalesforce.comに委託するという記事がありました。
郵便局会社のビジネスモデルがどう進化していくのだろうか。日本人のほとんどが利用するであろう郵便局会社で扱われる顧客情報が、海外の会社によって管理されるということは何を意味するのだろうか(導入があくまでも日本国IT部門というべきN社であるとはいえ)。などなど、いろいろと頭の中をかけめぐりました。
とはいえ、運輸でのJR、通信でのNTTも、大変な過程があったでしょうが、民営化によってこそいまの活力があると思います。JRのSuicaなど、驚きを与え続けてくれています。それらに続き、金融・物流での郵政の民営化は同様に、金融後進国の日本の未来への礎となるようと願っています。

2007年4月18日水曜日

凡庸な起業家

リクルート創業者である江副浩正さんの「リクルートのDNA-起業家精神とは何か」を読みました。久しぶりに、残りページが少なくなっていくのが悲しくなるほど、おもしろい本でした。

江副さんというと、リクルート事件での記憶しかありませんでしたが、自らを凡庸で内向的という飾らぬ語り口に、かえって凄みを感じました。組織に哲学とか理念を浸透させる才能が非凡だったのではないかと思います。

易経の「窮すれば変じ、変ずれば通じ、通ずれば久し」を人生の指針の1つにしていて、もっと積極的に表現した「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」という社訓。この言葉は、強烈なオーラと人を突き動かす力をもっています。

2007年4月17日火曜日

力をぬく

いつまでたっても、いっこうに上達しないゴルフですが、手と肩から力が抜けたときに、感触は軽いけれどもしっかりした当たりが出るようになりました。
仕事でも、気合が入りすぎて空回りしている局面が多々あったのを思い出します。
まあ、それはそれで、エネルギーと熱意を感じて、かわいくもあるのですが、相手は迷惑かも知れませんね。

2007年4月16日月曜日

基本

サイト準備をすすめるなかで、基本的なことにしょっちゅう立ち戻っています。
慣れている人からすれば、「こんなことも知らないのか」と言われそうですが、基本を体にたたきこむための修行と思って、頭をぶつけながら進んでいます。
要領は悪いですが、それで課題を乗り越えた時の喜びもまたひとしおです。

2007年4月13日金曜日

瞑目

中高と「瞑目」というのがありました。授業の開始時に、(たしか)1分程度、目をつぶって沈黙するのです。
おそらく、集中力を高めるとか、意味合いがあったのでしょう。
今朝、ひさしぶりに瞑目してみました。近所の工事の音などが聞こえますが、それでも気持ちがすっきりしました。これから朝の習慣となりそうです。

2007年4月12日木曜日

人生の選択

人生のいろいろな局面において選択があります。
たとえば、わがやは栃木県に住んでいますが、長男が小学校に入る前に都内に住むという選択もありました。そうしていたら、どういう展開だったか、と考えてみるのも楽しいものです。
「ああすればよかった」と考えるのではなく、違った人生をも生きた気になってしまう。
なんだか得した気になります。

2007年4月11日水曜日

引率

新しい小学1年生の帰宅班を引率しました。
列をつくって歩くのがはじめてなのだから当然ですが、じゃれあって列を乱したり、間があいたり、大変です。
学校や集団生活の役割は、まずは社会のルールを知る・身につけることなのでしょう。
一方で、型にはまらない奇想天外なところから生まれる何かも、残してほしいと欲張りに考えてしまいます。

2007年4月10日火曜日

新スタート

娘の入学式に行ってきました。
すべてがまっさらの白紙からスタートするというのは、他人からみてもワクワクして新鮮なものです。
自分にも、36年(!)前にこのような瞬間があったとは、信じられないほどです。
6年間、どのような絵が、白いキャンパスに描かれていくのでしょうか。楽しみです。

2007年4月9日月曜日

コミュニケーションミス

サイト開設準備にあたり、あるサービスの利用を申し込みました。大事なことを念押しで確認した上で決断したと思っていたのですが、申し込み後に大きく認識の違いがあることがわかりました。
こちらの説明も言葉足らずだったという反省があります。
百里の道も、九十九里をもって半ばとせよ。つめの甘い自分を、あらためて気づかせてもらいました。

2007年4月6日金曜日

エアコン

事務所に入居前からついている古いエアコンを掃除したら、かなり汚れていて、時間がかかりました。
しかも、そうじのあとにスイッチをいれてみて、室外機が動かないことに気付きました。
寿命なのでしょうが、そうじの過程はなかなか楽しいものでした。
自分で汗をかいてきれいにすることで、居場所への愛着もわいてくるものですね。
そういえば、以前に借りて住んでいた古家を思い出します。ずいぶん時間をかけて、中をきれいにし、庭に芝を植え、住みやすくしたのに、2年ちょっとで出るはめになりました。しかも、その後しばらくして通りかかったら、更地になってました。悲しい。

2007年4月5日木曜日

桜を見る角度

きのう、見事な桜並木を上から見下ろす機会がありまいた。
下から見る桜とはまた違って、思わずオーッと言ってしまうほど見事でした。
角度によって、また感動が増える桜。日本人の宝ですね。

2007年4月4日水曜日

労働の対価

事務所のクリーニングを著名なクリーニング会社に依頼しました。水回りから、床のワックスがけから、すみずみまできれいにしてくれて、驚くほどのコストパフォーマンスでした。
プロの技と感心しました。同時に、労働の対価について、考えさせられました。ピカピカにして喜ばれる、お客様の驚きと感動、ということが立派な対価となるということです。
奇麗にしてくれて、ありがとうございました!

2007年4月3日火曜日

新入社員

メガバンクに2千人の新入社員とのこと。
1980年代後半から1990年にかけての時代を思い出します。
知力も体力もあるうわずみの層をがっぽり採っているわけなのですから、「金融の日本」と言われるように、しっかり育て、また育っていってほしいものです。お願いします、心から。

2007年4月2日月曜日

新年度

新年度になり、新たに目標設定したり、ネジを巻き直したり、という気分になります。学校教育の成果かもしれません。
いつ、どういうタイミングで、どのように考えて、どんな目標設定をしたか。といったことを振り返ってみるのも、自分を知り、自分とつきあう上で必要だと考えています。人生の最大の戦友は、自分自身だと、つくづく思う次第です。

2007年3月30日金曜日

リスク管理

忙しかったり、順調だったりすると、ついすべてがうまくいくような気がして、リスク管理がおろそかになります。地震、交通事故、怪我をしたりさせたり、と人生計画を狂わせるようなことは、いつでも起こりえます。あらかじめリスクを想定して、対処していくことを習慣化したいものです。
我が家では、災害時の連絡をどう取り合うかも、決めていません。この辺から始める必要がありそうです。

2007年3月29日木曜日

知識の「クモの巣」

いますすめている準備において、いろいろと課題につきあたります。インターネットで検索すると、たいがい似たような事例があり、どうしたらよいかを親切にもブログなどに記録していてくれて、おかげさまで前進します。知識のウェブ(クモの巣)なくして、いまの作業は進みません。
Sure the SQL guru's will know that already, but as I mentioned there was nothing for that error on Google..! (SQLの達人なら知っていて当然なのだろうが、前に言ったようにこのエラーについてGoogleにはのっていなかったんだ...!)
なんてグチりながらも解決法を記述してくれているのをみると、ほほえましくも頭が下がります。ありがとう!
それにしても、ほしい知識が検索してみつからないと「Googleにない!」と言われるGoogleとは、不思議な存在です。

2007年3月28日水曜日

人事

年度末、新年度の人事などについて、身内から愚痴を聞いています。
自分のやりたいことと、人事とが一致すればよいでしょうが、そうとばかりもいきません。
「なんでもチャンスと思えよ」と言いたいところですが、うまく通じません。
どんなことにも、どんな仕事にも、意味があると考えたいですね。ものに意味があるわけでなく、人間がものに意味を与えるわけですから。

2007年3月27日火曜日

春休み

こどもが春休みになりました。
親のいない間、遊びに夢中なので、ちゃんと計画を立ててやれ、と雷を落としました。
目標を決め、計画を立てて、コツコツやってほしいと思うためです。
でも、自分が彼らの年頃にそうできていたかというと、はなはだ疑問です。
つい子どもには、期待のあまり、無理な要求をしてしまうものなのでしょうか。

2007年3月26日月曜日

開花

朝見ると、家の裏の桜の木が開花していました。今年の冬は暖かったので、春を待ちわびていたというわけではあないのですが、それでも気分が春モードに変わった気がします。
四季でチャンネルが変わっていくというのも、日本の面白さだと思います。

2007年3月23日金曜日

寝る前の本

ふと思い立ち、こどもが寝るときに本を読んでやることにしました。
まずは松谷みよ子からです。
こどもは、目を輝かせて聞いてくれます。そして、「寝ようか?」というと素直にうなずきます。
母がよく、寝る前に読み聞かせをしてくれました。それがいまの私の本好きにつながっている気がします。
親の影響は、大きいですね。

2007年3月22日木曜日

テクノロジーの活用のためのベクトル

いまこの瞬間にも、無数のテクノロジーが開発され、進化しています。それらを意味のある形でつかいこなせれば、社会やひとりひとりの人生はより豊かになっていくでしょう。現実は、多くが活用されずに消えていっているように思えます。
「あるものを活かす」ためには、それを売り込むベクトル(営業力)、翻訳して有機的につなげるベクトル(コンサルティング力)が重要な役割を示すと思います。そして、もうひとつ付け加えたい重要なものが、テクノロジーの進化にヒントを与える個人の意思(夢やこだわりなどの総体と考えます)というベクトルです。
よく、「消費者にきいても新商品のアイデアは出ない。自分でマーケットを創れ」という話を聞きます。でも、やはり「こうしたい」「こんなふうになりたい」「こんなものがほしい」というエネルギーがベースになるのではないかと思うのです。
これらのベクトル、特に第3のベクトルをささえる存在になっていきたいものです。

2007年3月20日火曜日

新しいPC

新しいPCがやってきました。
新しいものを目の前にすると、いつもワクワクします。そして、「使いこなしてやろう」という闘志がわきます。ピラミッドをつくるよりもたくさんの労力を要したOSを使うのも、楽しみです。期待以上でありますように。
それにしても、ムーアの法則はすさまじいですね。3年以上前に買った最新機種が、遠い昔のマシンのようです。

2007年3月19日月曜日

コーチの大切さ

こども4人がスイミング教室に通っています。長男は6年以上続けていることもあり、すいすい泳ぎます。うらやましい限りです。コーチによる正しい指導を受ければ、基本がしっかりつくということですね。コーチの大切さをまざまざと見せてもらっています。

2007年3月16日金曜日

個人のためのテクノロジー

企業にいると、ビジネスインテリジェンスBusiness Intelligence, コンプライアンスCompliance, ダッシュボードDashboardなどのはやり言葉で、ITツールがいろいろと導入されます。企業の社員は、ITツールに向かう時間が増え、メールも増え、徐々にゆとりを失っていっているようにみえます。
テクノロジーが、人間の管理のための道具になってしまっているのは、悲しいことです。個人の解放のために、テクノロジーを個人に向けて開放していきたい、そんな思いを日に日に強くしつつ、新サービスの準備をしています。

2007年3月15日木曜日

姥捨て山 現代版

姥捨て山のお話では、山に捨てられるお年寄りが、たいへんな知恵をもっているというくだりがあります。高齢化し、人口が減っていく社会において、定年などで仕事を終えられる方がどれだけ次世代に知恵をさずけてやれるか、ということも大事なことではないかと思います。
姥捨て山 現代版では、姥があちこちから「おっかさん」と助けを求められ、喜んで知恵をさずけるような、そんな社会にしたいものです。

2007年3月14日水曜日

カスタマーエクスピリエンス

夏の旅行の航空券の予約をしました。
Webで予約すると安いのですが、Webでできない操作があったので予約センターに電話しました。
すると、Webでやったほうが安いから一緒にやりましょう、と言ってくれて、電話で話しながらこちらはWeb入力し、予約係は電話の向こうでこちらができない操作をしてくれました。おまけに座席の位置の予約もしてくれました。
顧客の側から見て、一連のサービスについての体験とその満足度をカスタマーエクスピリエンス (Customer Experience)と言ったりします。今回は私によって期待以上のカスタマーエクスピリエンスでした。こういうとき、ありがたいという気持ちでいっぱいです。
くしくも、同じ日にこの会社の航空機が胴体着陸しました。なんとなく、応援したくなりました。

2007年3月13日火曜日

さわやかさと夢

起業家、経営者の書いた本やブログを読んでいて、なんともいえずさわやかな気持ちになるときがあります。ビジネスをゲーム感覚で語っていたり、いわゆる「勝ち組」的な物言いをする人のメッセージからさわやかさを感じることはありません。さわやかな気持ちにしてくださる人に共通するのは、どでかい夢を語っているということです。そして、それに近づくために、1日1日をしっかり生きているということが言葉の端々から伝わってくるということです。
夢は、それにふれる人の気持ちを魔法のように変えてくれるものですね。

2007年3月12日月曜日

霊峰



朝、たまに娘たちを保育園まで車で送ります。
家から河を越えるときに、遠くに男体山をはじめとする山々が見えます。今年は暖冬なので雪が少なめですが、それでもうっすらと白くなっている冬の山は、なにか凛とした気配を感じさせます。
朝から、すごく得をした気分になります。

2007年3月9日金曜日

英語圏八分

使おうとしているソフトウェアについての手引書が米国人によって出版されているので、Amazonで購入して読みました。厚さ6cmの大部と思ったら、Coauthors(共著者たち)がオランダやUKやオーストラリア、ハワイと多彩です。英語ですぐにグローバルにチームを組めるというのは、いつも感心します。日本人も、英語で輪に入れないと、村八分ならぬ英語圏八分になってしまうなあ、とあらためて危機感をもちました。
そうそう、著者の名前もなんとイングリッシュ!さんでした。

2007年3月8日木曜日

ネットの知的空間

新サービス準備のために、技術基盤をいまだ物色中です。知らないことだらけで、好奇心をおおいに満たされる毎日です。「この技術はどうなのだろう?」と思ってネット空間に入ると、いろいろな情報がすでに有志によって書き込まれています。各人の、コミュニティに貢献しようとする姿勢にも頭がさがりますし、ありったけの知識をはきだしているという姿勢にも感激します。
「出し惜しみするな」を信条としておりますが、ここまで実践されていると、やられた!という感じです。こちらも、はやく「出し惜しみ」せずはきだすぐらいの知識を得たいものです。

2007年3月7日水曜日

家族でできる娯楽

夫婦や親子でできるスポーツや娯楽というと、スキー、ボーリング、ドライブ、ゴルフ、ハイキング、トランプ、などが頭に浮かびます。思えば、小さいころ、5人家族でトランプに熱中したものです。こどもたちは自立し、巣立っていくものですが、年に何回かは集まって、なにかしらのスポーツや娯楽に熱中できるといいなあ、と思います。それには、こどものまだ小さい今から何がいいか、決めないといけませんが。
家族でゴルフを楽しむなんていうと、いいなあと思います。かたや、オラクルのエリソンのように、親子で戦闘機(本物!)を乗り回すなんていうのは、ぶっとびすぎですよね。

2007年3月6日火曜日

貧血とコミュニケーション

年に1回の健康診断で採血をしました。以前に、採血される間、会話もなくじーっと刺されているところを見ていたら、生まれて始めて貧血になりました。今回は、看護婦さんが手際よく採血する間に、いろいろときいてくれて会話しながらで、会話も弾んであっというまでした。
日本人そして特に私はシャイでコミュニケーションが下手なのでしょうが、ちょっとした会話は大切だし、楽しい気持ちになります。お店でも、初対面でちょっとした会話ができるとなんとなくうれしいものです。最初の声がけが、緊張してしまうのですが。

2007年3月5日月曜日

家具選び

週末に、家具を見に行きました。ショールームなので、とてもたくさんの種類があり、その多様さに圧倒されます。しかし、家の中をどう統一したいかのテーマを設定すると、とたんに対象の候補となる家具の候補は数えるほどになります。利用者側のオーケストレーションの大切さと、提供者が個人の多様なニーズにこたえるための品揃えをもつことの大変さを考えさせられました。

2007年3月2日金曜日

伝記

私は、そのときそのときで、はまる本のタイプが変わります。
いまは伝記です。
エネーブライフな「きょうのことば」のために必要にせまられているということもありますが、それ以上に、人の生きざまにひきこまれます。
自分が人生の折り返し点にいるからなのでしょう。

2007年3月1日木曜日

あるある事件

テレビ局の健康に関する製作番組が捏造であったことが問題となっています。
あらためて思うのは、情報過多の中で、「自力」すなわち自分なりの基準で判断を下して行動することこそが自分を助けるということです。
テレビをみて、納豆がダイエットによいということでスーパーの納豆コーナーに買いに走る。一見、自分でテレビからの情報をもとに判断して行動しているようですが、実は「他力」すなわち自分の判断を捨てて大きいものに依存しているだけなのではないでしょうか。
なかなか、この行動様式は変わらないなあ、というのが実感です。うまくいかなくても、他人のせいにできるから楽なのでしょう。でも、最後に困るのは結局は自分でしょう。
臨終の床で、他人に恨み言をいうことだけは、さけたいものです。

2007年2月28日水曜日

ユーザーメリット

税務署がさかんに利用促進しているe-Taxについて、電話で「利用者にとってなにがメリットですか?」と聞いたら、納得のいく回答を得られませんでした。一方で、ICカードリーダーを購入する必要があったり、パソコンの設定も複数インストールが必要で煩雑なものです。
およそユーザーメリットという言葉が辞書にはないのでしょうが、これで利用が進むのか、疑問に思ってしまいました。
21世紀は、個人がより自立し、強くなっていってほしいし、ユーザーメリット(もしくは社会メリット)がなければ個人を動かせない、というようにもっていきたいものです。

2007年2月27日火曜日

Windows Vista

Windows Vista Home Premium のPCを使っているのですが、どうも調子がよくありません。
ピラミッドをつくるよりも大きな労力を要したというこのOSのどこがすごいのか、はやく知りたいのですが、まだそこに至りません。
進化するのはよいことですが、フラストレーションなく使えるようであってほしいものです。

2007年2月26日月曜日

かぜ

自己管理がなってなくて、かぜをひきました。
布団の中で、過去のかぜのときのことを思い出しました。
こどものころ、かぜで寝ているとバナナとかヨーグルトとかを母がもってきてくれてうれしかったこと。
学生のとき、ひとりぐらしで何日か寝込んでしまい、なんとか近所の蕎麦屋までたどりついて食べた鍋焼きうどんのおいしかったこと。
そしてこのごろは、こどもが「パパ、だいじょうぶ?はやくよくなってね!」と言ってもらえること。
体調がすぐれないと、ふだんあたりまえのことまでが、とてもいとおしく感じられます。

2007年2月23日金曜日

オープンソース

オープンソースは、個人が新しいことをやろうというときに、強い味方になります。いままで企業側の視点しかもっていなかったので、180度のパラダイムシフトに戸惑います。逆の立場に立ったいま、企業の論理に対抗する新種の民主主義とでもいうべき動きなのだ、ということが少しずつ実感できるようになってきました。

2007年2月22日木曜日

机その2

こどもに学習机を買ったら、自分で目覚ましをかけて、6時に起きて机に向かっています。
だんだんと、自立していくようで、頼もしく思います。
「自分」を自覚することは大切であり、そのためのツールが提供されることもまた大事なんだな、と実感しました。

2007年2月20日火曜日

小学生2人の学習机を、いまごろになって買ってやりました。この春に小6と小4。友達は、ずっと前からもっているようです。わがやでは、勉強はいつも食卓でした。
自分の机ができて、今まで以上に机に向かうのか、その逆か、しばらく様子をみてみましょう。

2007年2月19日月曜日

BGM

こどもが水疱瘡となり、保育園に連れて行けないので、しかたなく仕事場に連れてきました。3歳児ことばで、ごにょごにょ話している中、いつものようにBGMをかけても、みょうに落ち着きません。結局、電源をオフにしてしまいました。仕事をしながら、うまくBGMがかみあって耳に入る条件というのは、案外ビミョーなバランスの上に成り立っているのかもしれませんね。

2007年2月16日金曜日

仕事と子育て

担当の美容師さんが、結婚と出産で1年休むとのこと。あいかわらず、観察力が足りないので、言われてようやくおなかが大きいことに気付くありさまです。
立ち仕事をしながらお腹のなかの子を育てるのも大変だし、復帰後もいろいろあるだろうなあと余計なことを思ってしまいました。
日本では、親などが同居していてこどもを丸抱えで面倒みてくれない限り、共働きの両親はとても大変な目に会う、というのが私の実感です。わがやも、地域のサポートの人たちが交替で家事をしに来てくださるという支援を得て、なんとかしのいでいる状態です。
「産む機械」うんぬんより、核家族の働く親が頼れるプラットフォームがなければ、こどもは増えないように思います。

2007年2月15日木曜日

事務所の近くにわりと大きな河があります。暖冬の昼間に河沿いに歩くと、心が落ち着きます。
河沿いからみえる風景の中には、昔から変わらないのだろうな、というような素朴な緑の風景もあります。人の営みを横目にみながら、ゆったりと流れる河は、包容力のある存在に感じられます。

2007年2月14日水曜日

こどもの自立

小5の長男が、2泊3日の宿泊研修に出かけました。今回で2度目ですが、送り出すたびにうれしいような心配なような、妙な気持ちになります。親がどうあろうと、こどもは育ってひとり立ちしていくものでしょうが、やはり親としてはどう巣立っていくのか気になります。自立を、ほどよい距離感で支援していくというのは、なかなか大変なことです。

2007年2月13日火曜日

投資教育

先日、投資教育の会社のセミナーに参加しました。基本的なことをわかりやすく2時間語ってくれる、よい内容でした。まわりを見渡すと、100人ぐらいの参加者の9割以上は男性(しかも40-50代と思われる年配の人が多い)で、女性はわずかです。これが意味することは何か、ちょっと考えてしまいました。もちろん、たった1回の、ある日・ある場所での特殊(?)な集まりの人員構成で判断してはいけないのでしょうが。

それから、投資教育のセミナーに初めて参加したのですが、「いかにして儲けるか」という言葉が気になりました。目的がまさにそこにあるので当然なのですが、私としては「いかにして豊かな人生を送るか。そのために経済的工夫をどうこらすか」と考えたいので、どうしても気になってしまったのです。どういう人生を送りたいか、ということを明確にして、強い意志をもつことのほうが、実は難しいのかもしれませんね。

2007年2月9日金曜日

大英帝国

この1年、イングランドから日本に来ている人といっしょに働いたり、会う機会がありました。「紳士の国」というイメージを良い意味でこわしてくれる、元気でエネルギッシュで自由な人たちばかりでした。
休職して、7大陸(?)をマラソン大会に参加しながら回るとか、変わった飲み物の会社をおこすとか、富裕層向け金融サービスの会社をもって世界を駆け回っているとか。
さすが、7つの海へとびだしていった、大英帝国の末裔たちですね。

2007年2月8日木曜日

お金の価値

お金の価値って、なんだろうなと考えます。
たとえば本や演芸など。専門書でなければ、高い本でも2千円ぐらい。寄席に行っても3千円はしません。しかし、それらが完成するまでに担い手がかけた労力は、大変なものです。とても価値があります。
一方、地価の高いところに住んで、月に100万円の家賃を払ったり、気取っているだけのレストランで高いワインをあけて1人何万円もの食事をする。
貧乏性だからかもしれませんが、同じお金、価値あることに使いたいと思います。もっとも、価値観は人それぞれですから、余計なお世話ですよね。

2007年2月7日水曜日

美しいもの

気に入ったデザインというのがあります。感性があうというのでしょうか。
スピードが速く、消費も感じる心も、たちどまらずに使い捨ての世相だからこそ、ちょっとしたデザインに感動していきたいものです。

2007年2月6日火曜日

春の陽気と青空

すばらしい青空の1日でした。雲ひとつない空をみていると、こちらの頭もからっぽになって、爽快な気分です。青空の下で生きていられるということは、ありがたいことですね。

2007年2月5日月曜日

エネーブライフな「きょうのことば」

味わいのある先人の言葉を、エネーブライフな「きょうのことば」として、平日の朝に掲載・配信することにしました。これはと思うひとことを探すのが、当面の大仕事となりそうです。こつこつと積み重ねて生きたいと思います。
エネーブライフな「きょうのことば」はこちらです。

2007年2月2日金曜日

まいた種

昨夜は、2ヶ月前まで勤めていた会社のプロジェクトの集まりに呼んでもらい、プロジェクトの成功をともに祝うことができました。ヨーロッパやアメリカから来てくれたメンバーたちも、それぞれ帰国して次のプロジェクトに行ったり、休職して世界各地のマラソン大会に参加したり、とさまざまです。また、このプロジェクトが芽となって、あらたなプロジェクトも順調に進行中とのこと。まいた種が育っていくのを見ることができると、うれしいし楽しいですね。

2007年2月1日木曜日

問い

私は、目標をもって生きていくことが、個の自立の必要条件だと考えます。その際に、どのような問いが出てくるのでしょう。

  1. これからの人生の各ステージ、節目において、どうなりたいとイメージしようか。
  2. ほかの人は、どんな目標をもってやっていて、どのように工夫をしているのだろうか。
  3. ○年前の自分は、どんなことを考えて、なにを実行してきたのだろうか。
  4. こどもたちに、自分の得た教訓や努めたことで、伝えておきたいことは何だろうか。
  5. 何が達成できれば、得られれば、幸せと感じるのだろうか。

ぱっと思いつくものを書きましたが、人によって多様な問いがあることでしょう。

そんな問いに何かしら答えを出していきたいです。なんだか、哲学の世界に足をふみいれていきそうで、不安なような、わくわくするような・・・。

2007年1月31日水曜日

インターネットの役目

インターネットは、コミュニケーションの手段として、あるいは情報をためて取り出すツールとして、仕事や生活の中心に存在するようになりました。利便性というステップにおいて、飛躍的な成長をとげたと思います。こらからのインターネットは、個人が自立していくためのプラットフォームとしての役目を強めていってほしいと思います。個人の自立には、本人の意思、周囲のサポート、啓発・啓蒙する第三者、などの組み合わせが不可欠だと考えます。その各要素を有機的につなげることをインターネットが担う、ということです。そうしたプラットフォームづくりを、自分なりに始めていきます。

2007年1月30日火曜日

テクノロジーの役目

きょうは、Windows Vista発売開始の日です。この新しいテクノロジーが、人の生活をどう変えていくのか、楽しみです。
私が高校生のころ、マイコンという言葉を耳にするようになり、大学生になるとマックという何やら高価で面白そうな機械を目にし、社会人になってからは実際にマックやWindows 3.1などで仕事をするようになりました。もともと、「テクノロジーは、人を幸福にするのか?」という疑問への答えを求めて、まずはテクノロジーを学ぼうということで、ITをベースとするコンサルティング会社に入りました。それから約17年にわたって、仕事の仕方も、ビジネスと消費者を結ぶ仕組みも、テクノロジーによってどんどん便利になっていく、ということを前線で体験することができました。
また、ちょうど長男が生まれた年にWindows 95が発売され、その後インターネットによって大きなうねりが出てきましたが、自分自身はそれに乗れずにいるものの、うねりの中にいることを実感。
いま、「テクノロジーは、人を幸福にするのか?」ではなく、「テクノロジーを、人を幸福にするものにしていかなければならない」というおもいを強くしています。

エネーブログの最初の文ということで、固くなりましたが、この初心を忘れずに歩んでいきたいと思います。