2007年7月17日火曜日

お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい

金曜ドラマで、「お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい」を見ました。
重度の脳性まひのやっちゃんが書いたこの詩を私が知ったのは、20年以上前のことです。
悲しい詩だなと思うとともに、「ごめんなさい」と言わなくてすむ世の中になってほしい、という願いがこめられていたと知って、やっちゃんの強い意志と勇気を感じました。

いま、こどもたちの父としてあらためてこの詩を読むと、親子の愛情と絆が感じられてきます。
やっちゃんは、おかあさんと一体化しているぐらいにおかあさんを愛し、その感謝の気持ちがそのままこの詩になったように感じられるのです。

それにしても、この詩が生まれて30年がたって、やっちゃんに見せてあげたい世の中になったでしょうか。

ごめんなさいね おかあさん
ごめんなさいね おかあさん
ぼくが生まれて ごめんなさい
ぼくを背負う かあさんの
細いうなじに ぼくはいう
ぼくさえ 生まれなかったら
かあさんの しらがもなかったろうね
大きくなった このぼくを
背負って歩く 悲しさも
「かたわな子だね」とふりかえる
つめたい視線に 泣くことも
ぼくさえ 生まれなかったら

ありがとう おかあさん
ありがとう おかあさん
おかあさんが いるかぎり
ぼくは生きていくのです
脳性マヒを 生きていく
やさしさこそが 大切で
悲しさこそが 美しい
そんな 人の生き方を
教えてくれた おかあさん
おかあさん
あなたがそこに いるかぎり

(「お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい」 向野 幾世 (著) 産経新聞ニュースサービスより引用)