2007年6月29日金曜日

イライラ

どうしてもイライラしてしまうときがあります。
イライラしても何も好転しないことはよくわかっているのに、イライラの虫が活躍するのです。

イライラするのはどんなときでしょうか?

  • なにかにとりかかっているのに、次から次へと「なにしてくれ」と言われる
  • こどもがうるさく騒ぐ
  • 頭がぼーっとしている(寝起き、二日酔い、暑い)
  • 考え事をしているのに中断される
  • こどもが時間になってもグズグズ支度をしている
私の場合、こんなところでしょうか。
多くは、「はやくしなければ」「いそいで片づけなければ」と思うからこそイライラしてしまうようです。
ちょっと深呼吸して、「ま、いいか」「ケセラセラ」と言うようにしてみましょうか。

2007年6月28日木曜日

会社とパソコン

ITバブル崩壊後の日本経済のどん底のころ、金融界のある会社のコンサルティングの仕事をしていました。かなりきびしい業績の中で、思い切った改革を計画し、進めようとしていました。
ある会議で、「わが社の人材にこれから必要な技能はなんですか?」と問われ、「パソコンのリテラシー(パソコンを使いこなす能力)です」と答えました。顧客の資産運用をプロとして助言する会社において、テクノロジーを活用しきることが当然と考えたのです。しかし、会議後にこの質問者が激怒していると聞かされました。私の回答が、あまりにも当たり前に思えたのでしょうか。メールを見るとか、その程度のことは誰でもやっている、ということでしょう。会社から提供される情報を加工し、プレゼンテーションする、といった能力を社員に求めることに気が回っていないのかも知れません。

これは一例ですが、企業社会でパソコンは「自分の能力を拡大するツール」というよりも、「管理される道具」という位置づけになっているように思います。これは不幸なことです。Appleは、パソコンを世に送り出すときに、Computers for the rest of us という標語をかかげました。これは、1980年代当時、パソコンは高度な技術知識をもつ一部の人の道具であったのですが、それを誰もが自分をEnhanceする(能力を高める)ツールとして変身させたい、という宣言だったのです。
約20年が経って、どうでしょうか。企業社会では、洪水のような伝達メール、内部統制のための記録の仕組みなどがパソコンに載せられ、パソコンに向かってそれらを処理することが仕事になっています。

人間本来の創造性を増幅させてくれる友だち。パソコンもそうなりたいと思っていることでしょう。

2007年6月27日水曜日

YAHOO! FINANCE

YAHOO! FINANCE のUSサイトは、なかなか面白いです。

Yahoo! Finance Videos で見るいろいろな分野の人のコメントは、その激しさに驚くとともに、新鮮です。強気論者と弱気論者の激しい討論など、日本人には考えられないような激しさです。また、いろいろな領域の専門家が出てくるのも興味深いです。職が実に多様です。

Top Financial News 欄のいろいろな記事も、中には面白いものがあります。先日は、「ビリオネアと結婚する方法」まであって、笑えました。こういういのを真剣に書いていることがすばらしいです。さすが機会均等の国です。

ちょっと、負けていられないなあという気持ちに、見るたびにさせられます。それにしても、教育から変えないとなかなか・・・。

2007年6月26日火曜日

ネットは社会にプラスか?

日本経済新聞に、日米中のインターネット利用者1.2万人を対象にした調査について載っていました。
(日本1万人、米中各1千人)

  1. 「ネットはあなたの生活をより良いものにしていますか?」に対して「良くしている」または「どちらかといえば良くしている」と答えた人の母集団全体における割合
    日本90.8%、中国95.4%、米国80.1%
  2. 「ネットは社会をより良いものにしていますか?」に対して「良くしている」または「どちらかといえば良くしている」と答えた人の母集団全体における割合
    日本53.4%、中国93.2%、米国65.7%

社会をよくしているかどうかについて、中国は肯定的、日本は半分近くが懐疑的という結果です。

中国は、昇り竜状態であり、いままでの情報格差による統治が崩れたことにより社会が開かれてきたと実感できるで、肯定的傾向が強いのかな、と思います。

一方で日本は、メディアを中心に、出会い系や自殺サイト、2ちゃんねるによる中傷、IT長者批判など、負の側面が強調されるために、懐疑的傾向が強いのでしょう。

ネットの特性は、文字通りネットワーキングであり、いままでであればありえなかった個と個のつながりによる「なにか新しいもの」の創造の可能性を秘めています。未来において、ふとふりかえると、「ネットがもたらしたもの」の大きさに驚く。ネット社会大革命。そういう歴史を創りたいものです。

2007年6月25日月曜日

医療とテクノロジー

胃カメラを飲みました。
3か月前は口から、今回は鼻から。
内視鏡使用の目的によって、口からと鼻からで長短あるようですが、検査を受けるほうからすると、鼻からだとずいぶん楽でした。
いつから導入されているのか知りませんが、きっと医療の世界のテクノロジーもどんどん進化しているのだろうと思います。
テクノロジーが人の幸せに貢献する代表領域は、なんといっても医療ですね。

2007年6月22日金曜日

感じる心

人が人である理由、それは感じる心があることだと思います。
日々の思索。映画を見たり本を読む。風景を眺める。音楽や絵を楽しむ。
心が刺激され、脳が快感をおぼえる。
だからこそ人間なのでしょう。

「忙」は心を亡くすと書くように、世の中の変化の速度と感じる心の度合とは、反比例する傾向があります。
ふと立ち止まって、自分の感じる心のチェックを定期的に行いたいものです。

2007年6月21日木曜日

オフショア

よる、あるセールスの電話が、シンガポールからかかってきました。
かなり上手な日本語ですが、回線の具合か、何度も聞き返してしまいました。

それにしても、最近ではコールセンターに電話しても相手は日本人とは限らず、オフショア化の流れを実感します。
ほぼ同等のアウトプットであれば、より安価で労働力豊富なところに流れていくのは自然なのでしょう。
一方でオフショア化するこちら側も、自分たちにより高付加価値の部分を磨くように、求められているわけです。この絶え間ない変化が、心強くもあり、そのいきつく方向性にやや不安を感じるところでもあります。

2007年6月20日水曜日

ブログにおける露出

資産形成関係のブログをみていると、個人が資産内容の変遷やポートフォリオまで公開している例があります。
有言実行で、公開しながら自分を激励しているのかな、などと思います。
あるいは、自信があるのかもしれません。
小説家を志した人が、「銀座のまんなかですっぱだかになるだけの勇気があるか?」と問われたという話を読んだ記憶があります。
インターネットのない時代、本を出すということは、自分を世の中にさらけだすことだったのでしょう。
いまは、驚くほど手軽に世界中に自分を発表できます。
インターネット上での個人の時価総額(金融資産ではなく、個人の人生の集積のようなもの)という新しい価値観も出てきています。
「さらけ出す=恥」から「露出=自己実現のひとつのありかた・手段」というように意識が変わっているのかもしれません。
インターネット時代に、個人のありかた、生き方が変わっていかないほうが不思議なのでしょう。

2007年6月19日火曜日

無からつくる快感

なにもない白紙の状態からなにかを創るというのは、なかなかの快感です。

コンサルタント時代には、数時間後・数日後にクライアントにレポートを出さなければならないが、目の前にあるのは白紙、ということがよくありました。
これはけっこうなプレッシャーです。でも、一方で「やってみせるぞ」という意欲もわきます。そして、「いまは白紙だけれども、どんなものができているのだろう?」とワクワクします。
もちろん、夜中に小人たちがいつのまにか靴をつくってくれているというイソップの寓話のようなことは起きず、自分が苦労してうみだすのですが、自分でも予想ができないのです。

いまは、頭の中にもやもやっとやりたいことがあって、やはり白紙に近い状態です。なにができるか、わくわくしています。これがあるから、人生やめられない・・・?

2007年6月18日月曜日

夢と現実

今朝、明け方に夢を見ました。
会議室にすわると、机の向こうにビル ゲイツがすわっているのです。
白髪交じりのビルは、「お前は将棋は強いのか?」と聞いてきます。
こちらが逆に「将棋のソフトもけっこうあるけど、やったことあるか?」と聞くと、ニヤリとしてうなづきました。
窓からの西日がまぶしいのでブラインドをおろしたら、光をよけてすわっていたビルが、すわりなおしたりとか、妙に映像がなまなましく記憶に残っています。
脳の構造がどうなっているのかわかりませんが、SFにあるように、脳になにかしらの作用を及ぼすことで、記憶を書き換えることは可能なのではないか、と思ってしまうほどです。
それほど、まだ記憶に焼き付いている夢でした。
脳の書き換えができるとすれば、個性や「自分が自分である理由」をどこに求めればいいのか、ちょっとこわくなります。

2007年6月15日金曜日

欲望 desire

欲望という言葉は、あまり良い響きではないように思います。
しかし、「やりたい」ことがあるというのは、幸せなことだと考えます。
やりたいことがあるから、その達成のために努力する気になるし、気もはるというものです。
どんなに恵まれていても、「やりたいこと」がなくなってしまったら、心が空虚になるのではないでしょうか。

もちろん、程度問題はあります。際限なくブランド品を買い集める人などは、欲望によって自分をドライブしているというよりは、欲望中毒になっているのでしょう。

それでも、「欲望=ゴール達成願望」とうまくつきあうことが、人生を豊かにするコツのように思えてなりません。資本市場も、欲望があるから成り立っているのです。
「制御のきいた欲望」が未来の創造のキーワードだと信じています。

2007年6月14日木曜日

英略語

英文の書きものに、AFAIKとあり、なにかと思ったらAs Far As I Know - 私の知るかぎり - という意味でした。
どうもこの手の略語が多いように思います。書く上では、文字数が減ってよいのでしょうが、「新入り」への洗礼ではないかと思うぐらい、わからないです。

FYI (For Your Information - ご参考まで)なども、使うと便利なので、慣れてしまうと使ってしまうのでしょうね。まさに業界(?)用語。

2007年6月13日水曜日

ゆうちょ銀行基幹システム

今朝の日本経済新聞で、ゆうちょ銀行の基幹システムがNTTデータ・日立製作所連合から調達、との記事を読みました。
旧UFJ銀行のシステムをベースにしているそうです。
もともと、東京三菱銀行とUFJ銀行の合併の際に、リテール向けにはUFJ側のシステムのほうが進んでいるという話があったそのシステムです。
NTTデータとしては、「単独の商談としては採算割れ」だが、今後の大型調達をにらんで落札とのこと。
日本国IT部門としてのNTTデータと日本国民のお金の窓口「ゆうちょ」の蜜月が続きそうです。
民間会社として、IT投資力を鍛え、優れたサービスを出していってほしいものです。

個人的には、もしもベースとなるシステムが優れていて、お蔵入りになっていたのであれば、それがまた日の目を見て顧客サービスが向上するのはいいことだと思います。期待しています。

2007年6月12日火曜日

県人会

学生時代、「県人会の集まりがあった」とか、「県人会の寮に住んでいる」とかいう人がけっこういて、うらやましかったものです。私は神奈川県出身で、神奈川県人会というのはピンときませんでした。聴講しているクラスの大学生たちのほとんどが、県人会という言葉を知らないというので、驚きました。

これは、江戸時代の藩制の名残のようにも思える県という単位の帰属意識が弱まっているということなのでしょうか。それともたまたまこのグループが知らなかったのでしょうか。

それにしても、「『けんじんかい』の『けん』は、都道府県の県ですか?」と聞かれたのは、ちょっとショックでした。

2007年6月11日月曜日

本と映画

「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」をまず本で読み、次に映画を見ました。
原書と違う部分が多く、戸惑いました。一方で、風景の描写など、映画ならではの部分もありました。
ただ、原書で自分が共鳴したり感動した部分が端折られていたり、変えられていたりすると、やはり残念です。
一例をいえば、オカンが死んでからあけろと言った箱には、やりくりをしてためた貯金の通帳があり、その伏線としては苦しくて年金保険料を払えなかったので年金はもらえない、作者がそのような年金制度に怒る、というくだりが本にはあります。そこに、母親の生きる力と子への愛情の強さを感じてジワーっと心にしみました。映画では、母からの手紙(ノート)を大きな箱の中から取り出して読むだけです。

以前にも、フレデリック フォーサイスのスパイ小説が好きで、「戦争の犬たち」という作品がとりわけ好きでしたが、その映画というのを見て、あまりのひどさにあきれ、怒りをおぼえたことがあります。


一方で映画は映画で、すばらしい脚本による偉大な作品が多くあります。
それらの解説本は、あくまでも補助的なものでしかありません。
やはり、本と映画は別物と思ったほうがよさそうです。

2007年6月8日金曜日

研究

研究というのは孤独な仕事であり、研究者というのは目標にむかってぶれない意志をもつ人なのだろうなあと思います。

自分でサイトを運営していて、技術的に課題があると、あの手この手で試行錯誤したり、Web上で同様の事例を調べまくります。たいがいは、とっかかりがあって、「やりぬく」という意志があればなんとかなります。ある意味、人間がつくったテクノロジーの上で課題解決をするので、答えがあって当たり前です。

しかし、生物学、自然科学、物理学的、その他どんな分野があるかすらわかりませんが、それらは誰も答えを知らない世界での研究でしょうから、想像を絶する孤独さだと思います。ある仮説をたてて、何年も研究して、それがNGとわかればまた1から組み立て直す。文明の進歩が、そうした意志の積み重ねによって支えられていると思うと、ありがたいことだと思います。

もしも、この世から研究材料がなくなったとしたら、そのときがすべての終焉なのかもしれません。ゴールが見えなくても、研究対象があるから、人類が人類足りえるのかも知れません。

かくいう私も、研究というにはほど遠いですが、毎朝「きょうはXXの課題をやっつけるぞ」と思うからこそ、1日にはりあいがあり、ときにはくじけそうになりながらもやれているのだろうと思います。もしも取り組む課題がなくなったら、きっと人生灰色だろうなあと、ぞっとします。

2007年6月7日木曜日

3分間

なぜ3分間なのでしょうか?
カップラーメンの標準的な待ち時間も、ウルトラマンのカラータイマーも。

私は、朝に瞑目というのをしますが、これも3分間がちょうどよい気がします。
パソコンの合間の休憩の眼の体操も3分間です。
それぞれ、腕時計のタイマーが3分間になっていて、ボタンをひとつおすだけで3分間はかって鳴ってくれます。

たぶん、「3分がちょどよい!」というすりこみがされてしまっているのでしょう。
でも、ひょっとしたら睡眠に90分のサイクルがあるように、3分間というのも体のリズムにあった単位なのかも・・・。

2007年6月6日水曜日

盆栽

先日、たまたま通りがかって、盆栽展というのをふらりとのぞいてみました。
盆栽というと、サザエさんに出てくる映像のイメージぐらいしかなかったのですが、この展示会の作品はどれも見事なものでした。
まったく知識のない私から見ても、それぞれに味わいがあり、見入ってしまいます。
枝の曲がり方、表皮の渋い枯れ方、全体のバランス。意図してそのようにもっていったものもあれば、自然に見事な形になったものもあるのでしょう。
歴史のあるものには、底知れない奥深さがありそうです。

2007年6月5日火曜日

翻訳

展示会の英文パンフレットを日本語に訳しました。
親戚に竹アーティストがいて、彼の海外での展示会のパンフレットをもらったご両親が、どんな内容か知りたいということだったのです。
直接会う機会はまだないのですが、彼の活動の軌跡がわかって興味深かったです。
それにしても、A4で4ページほどの分量に、ずいぶん苦戦しました。
翻訳というのは、実に大変な労働です。
何気なく読んでいる訳書の訳者の方々に畏敬と感謝の念がわきました。

インターネット上でも、機械翻訳の試みが進んでいます。
調べ物をしていても、Googleであれば検索結果が翻訳されるし、ブラウザ上で単語の訳も表示されます。Microsoft TechNetでも「TechNet 試用版 機械翻訳コンテンツ」として「日英併記・英語のみ・日本語のみ」の切り替え表示ができます。
どこまで質が追いつくのか、楽しみです。

2007年6月4日月曜日

ごみ拾い

朝はやく目覚めたとき、家の裏などにおちているごみを拾うときがあります。
けっこう、やりだすとやみつきになって、朝から気分爽快です。
ちょっとでも落ちていると、捨てるほうも捨てやすいのでしょうから、きれいにしておきたいものです。
拾うゴミが減ってくると、なんだかさびしくなってきたりします。
聖路加国際病院院長の日比野重明さんが、朝のごみ拾いがちょうどよい腰痛体操になると言っておられましたが、もしそうであればいいことだらけですね。

2007年6月1日金曜日

特殊的能力

6月1日の日本経済新聞紙朝刊に、「公務員制度の改革」として「公務員にやってもらうのは、民間にはできない、公務特殊的な能力を要する仕事に限定していくべきだろう」「改革の中心は、職業生活の最後まで、安心して公務員として仕事をしてもらえる制度をつくることであるべき」とありました。

「人的資本」の観点からの論ですが、得心がいきました。いまの世の中は、ガッツと能力があり、リスクをおそれない人には、無限のチャンスがあります。わざわざ、硬直化して見返りも少なく、Respectもないような場にはいきません。いかに将来を担う人材を特殊的能力を要する仕事に導くか。マクロ的にはとても優先度が高い課題だと思います。

すぐに思い浮かぶのは、外交官、教員、国の予算や交通などのデザインの仕事です。
これらの職をささえるような制度とともに、Respectを集められるように、主体者(これらの職についている本人)・メディア・教育などが、いろいろな場で「特殊的能力」の重要性と国民としてそれを支えるという意識づけが必要でしょう。不祥事にばかり目がいくようでは、自分で自分の首をしめているようなものだと自省します。