2010年10月31日日曜日

施設長になった盟友

かつて、3年ほど同じ釜の飯を食い、共に飲んだくれていた盟友に8年ぶりに会って一献かわしました。

100人以上のスタッフをかかえる施設の施設長を4-5年やっているといいます。
話の内容も、いまの現場の悩みや矛盾をトツトツと事実ベースで語る、重いものでした。
20歳のころの面影を残しつつも、なんと立派なことか?

「福祉の世界も、ビジネスの世界に学ばなければいかん」
「施設長として、施設のガバナンスをどうするのがよいか、日々悩んでいる。取締役会というのは、一般の会社ではどう運営しているのか?」
「スタッフをどう評価し、給与を決めたらいいのか?」
など、必要と問題意識に迫られて、実に根源的なことを聞いてくるのが新鮮でした。
ビジネスの世界で当たり前のようになっている運営手法などが、当事者にどれだけその意味と重要性を理解されているのか、あやしいところもあります。
盟友のように、まっさらなところから、どういうやり方がよいかを自ら考えてとりいれれば、そこには暖かい血が通うでしょう。

ひさびさに「やられた!」という刺激と、うれしさのまじった一晩でした。

2010年9月12日日曜日

ヒューマンタッチ

いつもボンヤリの私は、きょうも家族と出掛けた際に地下鉄にバッグを置き忘れました。

すぐに気付いて駅員さんと相談したら、実に丁寧な対応で、いろいろと連絡をとってくれ、20分後に発見されました。発見してくれた駅までとりにいったら、そこでも丁寧な対応。
すばらしい顧客体験でした。

しかし、どこに忘れたかというときに、網棚に忘れたと言ったものの、その電車は網でなく透明のアクリルのような棚でした。
網棚というのが死語になるとして、いつまで網棚で通用するのでしょうか?
それとも、天井棚とか、透明の棚とかにいいかえるのでしょうか?
無事にバッグがでてきたうれしさからか、つい余計なことを考えました。
けっこう死語がそのまま使われるケースがあります。
電子メールのccも、いまはほとんど使わないカーボンコピーの略だし、電子メールのアイコンがたいがい封筒の絵になっているのも、電子メールで郵便が駆逐されれば、未来の人には「この絵はなに?」となるかもしれません。

2010年8月10日火曜日

丼からはみでたネギ

ラーメンの街、佐野で行列のできるラーメン屋にふらりと入ります。

人気店が移転したのか、あたらしい店でしかも午後3時過ぎなのに並んでいます。
自称ラーメン通としては、まず店をチェック。

+清潔な店内
+店員の若々しい呼び声が活気あり
+青竹打ち
+餃子の皮も手作り

-まんががおいてある
-店員が若すぎる?
-ラーメンが出てくるまで、しばらくかかる

さあ、いよいよご対面。いきなりネギがはみでている。
「神は細部に宿る」

味も、平均点以上ですが、また来る気にはならず。
なんというか、個性やパンチが足りません。
わがやいちおしの「金魚のラーメン屋」(店に入ると金魚鉢があるのでそう呼ばれている)を例に出すと、ここはラーメンとチャーシューメンしかなく、出てくるのがやたら速い。店はシンプルで新聞のみ。テーブルと座敷が効率よく回転。そして麺は青田打ちの不揃い、チャーシューは油ぎとぎとでしょっぱい。スープは最後までのみほせる魚系。個性てんこもりです。

やはり、ラーメンも人間も、面白味があるのは、まんべんなくいい人より、個性やアクの強い人なのでしょう。

などなど、またしても、ラーメン丼と真剣勝負してしまいました。
奥が深い・・・。

2010年7月17日土曜日

大村益次郎の足もとで盆踊り

靖国神社の「みたま祭り」に初めて行きました。

人出の多さにもびっくりですが、大村益次郎の銅像の下が盆踊り会場になっているのには驚きました。
益次郎の足もとをぐるぐる回りながら踊っています。
上野の山を見張っている益次郎もびっくりでしょう。

この猥雑さ、なんでもありの貪欲な胃袋のような熱気。
案外、これが日本人の不可思議な強さなのかもしれない、という気もしました。

2010年6月20日日曜日

お年寄りの受難に思うこと

お年寄りをだます事件が進化しています。

振り込め詐欺から、最近では身内や知人をかたってお金を用意させて玄関先で奪って逃げる事件まで出てきています。それも千万円単位!
身内にも、りんごやら布団やら味噌やら、カモネギとなって買わされている人がいます。
弱者をねらう卑劣な行為であることは間違いありません。
一方で、これは富が高齢者に偏在している事態を象徴するような出来事ではないか、とも思います。
お金そのものが、いまの偏った形にとどまっておられず、その匂いを嗅ぎ付けて悪知恵の働く人たちが群がってくるわけです。
それならばいっそのこと、資産税や、次世代に再分配される仕組みをシステムとして導入したほうがよほど全体の幸福にならないでしょうか?
一部の幸福が一部の不幸を呼ぶ、それがいまの世相のように感じます。

2010年6月19日土曜日

98歳の重み

今朝の朝日新聞朝刊を読んでいたら、「子どもを守る愛のきずな」というタイトルで、最近立て続けにニュースとなっている子どもの虐待事件についてのコラムがありました。

筆者は、7歳男児が虐待によって亡くなった小学校で「いのちの授業」を行い、かけがえのないいのちについて話したとのこと。
無事に生まれてくれただけでありがたい、という気持ちが子どもの成長とともに薄れ、「這えば立て、立てば歩めの親心」を高じていく、というくだりに、「その通り!」とわが意を得ました。
一方で、このような正論をまっすぐに言って、「わかっているよ、そんなこと」と思われないのだろうかと気になって筆者の名前を見たら、なんと98歳 聖路加の日野原重明さんでした。
これは重い。
年輪を重ねた人の言う言葉は、正論そのままですっと心に入ってくるものだと感心しました。
『言葉+それを発する人の気迫・重み』が伝える力を生み出しています。
肉声で聞いた人には、さらにインパクトがあったことでしょう。

2010年5月20日木曜日

閾値(いきち)

「気の持ちよう」といいますが、閾値(いきち)によって幸福度や満足度は大きく変わるように思います。

育ち盛りの頃、何を食べても美味しく、今は亡き母に「何をつくっても美味しい美味しいだから、はりあいがない」と言われたことを思い出します。
そういわれても美味しいんだから!と思ったものですが、振り返って思えば閾値の設定がかなり低いのかもしれません。
まあ、単純なのかもしれないし、些細なことで満足してしまうのだから、幸せな性格なのでしょう。
逆に、閾値の設定が高い人は、常に高いものを求める一方で、けっこう体感幸福度は上がらないのかもしれませんね。

2010年4月18日日曜日

無料の怖さ

ITの世界では、フリー戦略がヒットします。
古くはHotmailやAdobeのAcrobat Readerなど、まずユーザーを集めてしまうことが競争優位につながります。
一方で、ユーザーとしては、「タダほど高いものはない」というリスクもあります。

マイクロソフトの無料サービスを気に入って使っていたら、最近になって一部が有料となり、うっかり料金を払わずにいたらサービスが失効していました。支払いの督促を受けた認識もなく、がっくりきました。

以前にも、グーグルのgmailを18ヶ月間アクセスせずにいて失効し、そのアカウント名で再登録もできません。たとえ大容量をうたっていても、メールの蓄積はすべて失われます。規約を読むと、たしかに失効する旨が書いてありました。

いずれも、チェックを怠ったり、長い間使用していなかったユーザーが悪いということでしょうが、インターネットの世界にコンテンツをおいておくにあたっては、「タダは高い」ことを痛感しました。
痛すぎる・・・。

2010年2月28日日曜日

病み上がりの一食

風邪や発熱でしばらくダウンし、ろくに食べられず、ようやく起きられるようになっていただく一食は最高です。
私の場合には、風邪のあとはだいたい鍋焼きうどん、胃腸をやられている場合は中華料理屋の味のついたおかゆです。
体全体に熱と滋養がひろがる実感があります。
とても幸せな瞬間です。
健康に留意しようと決意するのですが、しばらくすると、また忘れてしまい、忘れた頃にまた不調になるんだなあ・・・。

2010年2月7日日曜日

人を見る眼

人の真贋を見極めるのは、つくづく難しいと思います。

最近、直接は知らないものの、その言動や著作に興味をもっていた人が2人逮捕されました。

1人は、富裕層向けのマーケティングの会社を立ち上げ、富裕層向けのインターネットサイトや雑誌を刊行していました。目の付けどころに感心していたら、ブラックな世界に足を突っ込んでいたようで、逮捕されました。娘さんはスイスのボーディングスクールに通っているということでしたが、どうしたのでしょうか?

もう1人は、経済や政治について「直言」していた人で、自分にはない視点や情報に感心していました。海外の未公開株の購入を募った件で家宅捜索。

うわべの言動にまどわされたわけですが、胡散臭さには全く気付きませんでした。
自分が甘いだけかもしれませんが、人を見る眼を鍛えなければ・・・。

2010年1月23日土曜日

シマグニコンジョー

小学校の頃、よく先生が「日本人は島国根性だから」と言っていました。

うちに帰って母に聞くと、「鎖国していたから、世界に目を向けずに内向きでとじこもっていること」と教えられ、あまり良い意味ではないのだなあ、と子供心に思いました。

最近は、島国根性という言葉時代あまり聞きません。
しかし、実態としてはいろいろな面で島国根性が進んでいるのではないかと疑ってしまいます。
自国のアイデンティティーを大切にしながらも、根性はグローバルでありたいものです。

それには、自分自身が外に出て行くのが一番。
縮んでいないで、世界を闊歩しよう!