2007年9月28日金曜日

ありがとうと言える快感

「ありがとう」という言葉には、ものすごい力があります。
ありがとうと言うと、自然と「ありがたい=いまあることが稀有なことであり、いとおしい」という気持ちが湧いてきます。
ありがとうと言われると、心が充たされます。
ありがとうと言える機会を1つでも多くつくりたいと思うと、前向きなエネルギーが生まれます。

ワタミは「地球上で一番たくさんのありがとうを集めるグループになりたい。」を掲げています。
すばらしいミッションだと思います。

私は、「1回でも多くありがとうと言いたい。1回でも多くありがとうを言える機会をつくりたい」と願っています。
考え方によって、日々の営みのとらえ方と得られる充実感も変わってきます。

2007年9月27日木曜日

スカイプ不調

スカイプのすばらしさに感動しまくっていたところ、このところ2回ほど不調でした。

1回は、途中で突然に切れて、オフラインになりました。
もう1回は、ノイズがひどくて、とても話せませんでした。

双方のパソコンやネットワーク事情のせいなのかもしれませんし、原因はわかりません。

でも、1つのことを過信してはいけないということと、ノイズがある会話は実にストレスがたまる、ということをあらためて実感しました。

特に、ノイズのある会話は、聞きとるのにエネルギーを使うわりには、会話が進まず、「労多くして功少なし」。徒労感だけが残ります。

鮮明な音声での会話ができることのありがたさを思い出させてもらいました。
電話ができたころは、ノイズばかりでも人々は感激していたのでしょうね。

人間の欲求や期待レベルは、あがりこそすれ、さがることはありません。

2007年9月26日水曜日

百人一首

先日たまたま読んだ教育本に、「小学生には百人一首がよい」とありました。
いわく、読み書きの能力が大事であり、古典にふれさせるのがよいとのこと。
さっそく、家にカルタがあったので、百人一首大会を開きました。
4才児が、札をとれないとわけもわからずに泣いて閉口しましたが、けっこう楽しめました。
下の句が、濁点がなかったり、「ころもほすてふ」とかになっていて、こどもたちは戸惑っていました。
なにより、歌を詠みあげる役をやったのですが、まともに間違えずにすらすらとはいかず、苦労しました。
昔の人の文化にふれるのって、いいですね。
歌に詠まれた内容は・・・・おいおいこどもたちと勉強しようと思います。

2007年9月25日火曜日

学力低下

こども(小学校高学年)の学力低下を感じるこの頃です。
わが子だけの問題なのか、世の中全般にそうなのかは、わかりません。
「ゆとり教育」のせいだという人もいます。

わがやの事例でいえば、本はほとんど読まない、おこづかいを自分で計画的に使ってお金について学ぶ機会があまりない、学校の宿題はないに等しい、という状態です。
このままで「生きる力」を養えるのか、心配になります。
ついきびしく言っていると、学校の作文に「おとうさんがきびしすぎて、うらんでいます」などと書かれる始末です。
へらへらして一生楽しくやれるのならいいのですが、親バカとしては、うらまれても尻をひっぱたかなければ、と思ってしまう次第です。
斧で切りつけられないように、ヘルメットをかぶって就寝しないといけないかもしれません。

本人のやる気をけしかけるには、どうしたらよいのでしょうか。
闇の中の手探りが続きます。

2007年9月21日金曜日

シャーロック ホームズ

何十年ぶりかで、シャーロック ホームズを読んでいます。
かつて、はまっていました。
いま、あらためて読んでみると、「考える」「想像力を働かせる」ということが主要テーマとなっているから面白いのだ、と気付きました。
事実をぬきだし、仮説を立て、立証する。
その流れが、読みやすいストーリーになっているので、よけいに面白いのでしょう。
ワトソン君のような友人がほしいものです。

2007年9月20日木曜日

セマンティック・ウェブ



Economist.comにセマンティック・ウェブに関する記事がありました。
http://www.economist.com/displaystory.cfm?story_id=9716955

たとえば旅行するとき、航空券予約し、ホテルを予約し、レンタカーを予約し、空港の駐車場サービスを予約し、現地の地図や天候を確認し、・・・といろいろとやることがあります。

もちろん、Webのおかげで昔よりも格段に便利に、電話やカウンターで長時間待たされることもなく、しかも多くはより安く利用できるようになりました。

しかし、これらがあたかも秘書に頼むがごとくに一連の依頼としてWeb上で行えたら、と思うようになるわけです。

このように、「Web上を意味によって有機づけする」というのがセマンティック・ウェブだと思っています。
実際に、TripIt なるサンフランシスコの会社が、このようなサービスをベータ版で提供しています。

また、金融サービスでは、Wesabe も紹介されています。

"bank puke"(銀行のヘド)という表現が、なんとも強烈でおかしいですね。山と送られてくる取引明細などのヘドを、まとめてWebにぶっこむ、ということらしいです。

Webの進化への強いエネルギーを感じます。

2007年9月19日水曜日

共済というカタチ

いま、保険は個人年金保険を除いて、すべて掛け捨ての共済にしています。
以前に、言われるがままに保険に入っていて、破たんでひどい目にあったからです。
ひとつは名前に星のつく生命保険会社、もうひとつは意味不明の外国の地名を冠した生命保険会社に変わりました。

共済は、すばらしいです。こどもが入れ替わり立ち替わりケガしたりしても、迅速に保険金がおります。
剰余金の割戻が2~3割もあります。
なんといっても、手づくり的な素朴で親身な対応がうれしいです。
一家6人で約2万円/月の掛け捨てですが、割戻しを考えれば実質は1.4万円。

これで、こどものけがでの通院(もちろん入院も)、おとなの病気入院までカバーされるのですから、言うことはありません。

巨大保険会社も、初心は立派だったのでしょうが、組織が大きくなり、利益至上となり、またお金をもちすぎてしまったがために、道をはずしてしまったのでしょう。

資本主義の世の中ですが、共済というカタチが、いまさらながらに新鮮であり、一消費者として良さを実感しています。企業活動のもうひとつのあり方として、見守っていきたいと思います。

2007年9月18日火曜日

ベア

マーケットがベアになると、心理的にはどこまでも下がる恐怖感に襲われます。

これまでの経験だと、底のときには、悲観論が大勢をしめ、とんでもない悲観論がさらにとびかいます。

先週の週刊誌の見出しに、米国バブル崩壊、日本株暴落「9月18日説」とありました。

かつて米国視察でフィデリティの支店長が、「顧客には、過去のダウ平均のチャートと、底や天井のときに新聞・雑誌にどのような見出しが多いかを見せる。底のときは悲観論一色で、天井のときはさらに倍になるとか、強気ばかり。それがバロメーターさ」と言っていたのを思い出します。

さあ、いまが底なのかどうか。サインは出てますね。

2007年9月14日金曜日

りんご事件

義母の家にりんご売りがやってきて、おいしいからと試食させられ、1箱1万円で買ったそうです。いわく、「このりんごは、2-3か月おいておくと、よりおいしく食べられる。」

おすそわけをいただいて食べると、味はなく、へたもないものもあり、身がすかすかなので軽く、底にあったものは傷んでいます。きっと、落ちたリンゴの中のマシなのを拾ったのでしょう。 すぐにバレて足がつくと困るので、しばらくおいておけ、などと言ったのでしょう。

訪問販売のダマシ的な行為は今に始まったことではありません。しかし、このようなことを聞くたびに悲しくなります。こうした心無い行為で動かされるお金も悲しんでいます。悲しいのですぐに逃げ出すでしょう。1日に100軒まわって、10軒成約すれば10万円。100日まわれば1,000万円。まあ、足をふみいれたらやめられない世界なのかな。

この世に生を受けたことをありがたく思い、やましくない1日を過ごす。そうすれば、きっともっと楽しいでしょうし、幸せもよってくるでしょうに。

義母は、前にも玄関先に売りにきた味噌を1万円で買っていました。味は、わがやが直売所で買っている500円の味噌のほうが上でした。ある意味、慈愛のある行為でもあり、別の意味では親切が仇となる行為でもあります。

2007年9月13日木曜日

突然の退陣

きのうの昼、ラジオを聴いていたら、突然安倍首相が辞任すると話し出し、びっくりしました。
心身ともに疲弊していたということでしょうが、「いったい何なのだ?」と思ってしまいました。この1年、なにを軸として、なにをやろうとしていたのか、私にはわかりませんでした。「美しい国ニッポン」と言われてもピンときません。良い悪いは別として、小泉さんには、「コワシテヤル」という一貫した頑固さ、気迫を感じました。とにかく、旧体制をコワシ、変化させる。そのようなビクともしない軸があって初めて、こちらも賛成したり反対できます。軸がわからなければ、どう向き合ったらよいかもわかりません。
今回思ったのは、一国の総理大臣にこそ、コーチングのようなサポートが必要ではないか、ということです。なにしろ、まわりは相談しようにも利害関係まるだしの人たちばかりです。自分のための時間をとり、自分と向き合い、軸を固めて確認する余裕もなかったでしょう。1時間のコーチングで100万円とるともいわれるアンソニー ロビンズのクライアントに、クリントン前大統領もいたと聞きます。
それから、リーダーは心身を鍛練し続けなければならないということです。外国人のビジネスマンと接して思うのは、とにかくよく体を鍛え、精神的にもタフだということです。リーダーが消耗した顔を見せては、組織の士気があがるわけがありません。
いろいろと考えさせられた1日でした。はやく、軸のはっきりしていて心身の鍛練された人にリーダーをつとめてほしいものです。

2007年9月12日水曜日

旅先での出会い

旅行に行った先での出会いは、格別なものがあります。
この夏の旅行で出会ったご家族に、写真を送っていただきました。
ちょうど、うちのこどもたちと遊ぶ年頃のお嬢さんがおられたので、楽しく水遊びなどしました。
人生は旅のようなもの、その人生=旅での出会いは、ありがたいものです。

新婚旅行の帰り、ウィーンの空港で飛行機が大幅に遅れたときにカフェで出会った音楽家の方は、いまも連絡をくれます。
オーストラリアで出会ったすてきな老夫婦とも、年賀状などのやりとりがあり、またどこかで会えたらいいなあと思います。

旅と出会いは、生きる活力をくれますね!

2007年9月11日火曜日

9.11

September 11 のテロから6年経ちました。
この日を目前にしてUBL(Osama bin Laden)の健在ぶりをアピールするビデオが流されるなど、なんとなく不穏な雰囲気です。
NYのテロ現場にはビル建設計画が進み、イラクはいまだにゴタゴタし、世界経済は繁栄を享受したものの直近はグラグラしている。
時間は容赦なく流れ、人間の営みは止まることがありません。
9.11 のような日には、ふと文明社会と人間の不思議さ、不可解さについて考え込んでしまいます。

2007年9月10日月曜日

勇気

週末に、あるテレビ番組をみて、うなりました。
50代で早期退職し、夫婦でミュンヘンに渡り、串揚げ店を開いて半年の家族についてでした。「地球ぽかぽか家族」という番組で、ほぼ毎回見ています。
ドイツ語もゼロから、串揚げの経験もなし、というゼロスタート。
「やりたいからやる」という勇気のすばらしさを教えてもらいました。
新しいことにチャレンジするとき、つい、できない理由を考えてしまいますが、やろうと思えばなんでも突破できるものです。
背中を思いっきりどやされた気がしました。

2007年9月7日金曜日

米政府と市場の近さ

サブプライムローンの焦げ付き問題で株式市場が不安定です。
米政府は、これに対してすばやくコメントを発表します。
いつもながらに、米国での政府と資本市場の近さを感じます。
以下は、米国についての私の見方です。

  • 米政府は、資本市場の成長を通して国民の経済的発展を実現することを経済の前提としている。
  • 個人には、401Kなどの制度と教育機会を提供することで、経済的自立を求める。
  • 資本市場の安定をゆるがすリスクや事故には、最優先で対処する。
  • 個人にとって、投資機会や教育機会をいかせずに、金融資産を増やせないということは、経済的な死を意味する。

このような国において、資本市場が成長装置でなくなるということは、国民の暴動を引き起こすぐらいのゆゆしきことなのでしょう。
国の大黒柱として、資本市場を大事にしようとする気迫を感じます。
日本だったら、「株なんてバクチをやってみるやつらは、自業自得だ」とマスメディアを中心に嘲笑するぐらいでしょう。

2007年9月6日木曜日

面積算

こどもの勉強を見ていて、面積算というのを知りました。つるかめ算などを面積を使って求めるものです。
図を書いて視覚的に考えるというのは、なんとなく想像力を刺激してくれる気がします。
コンサルタント時代、金融のある業界のコスト構造をシミュレーションするのに、いろいろな図を駆使して考え、わかりやすく説明するための工夫をこらしたことがあります。頭の体操をしている気がするとともに、説明がわかりやすかったと参加者に言ってもらえて、とてもうれしかったのを思い出します。

2007年9月5日水曜日

アンテナの感度

尊敬する人が「これはいい」と言っている本や記事は、すぐに読みたくなります。
読んで、「なるほど、これはすごい」というときもあれば、「???」というときもあります。
どこがいいのか、首をひねってしまうときは、自分のアンテナの感度を疑います。
そもそも論点がわかっていない、受信するのに十分なベースの知識が自分にない、自分の問題意識とかみ合わない、など原因はいろいろだと思います。
素直に考えて、アンテナを絶えず磨き続けていきたいと思います。

2007年9月4日火曜日

不撓不屈

「不撓不屈」(高杉良 著、新潮社 刊)を読みました。
私が生まれる前の「飯塚事件」について、お恥ずかしながらはじめて知りました。
また、昨年に映画化されていることもやっと知った次第です。

自分の住む栃木県に、飯塚毅氏のような偉人がいたとは・・・。
禅で見性を許され、世界の税法や会計実務に精通し、英語とドイツ語を自由に操り、TKC(東証一部上場企業)を創業。
信念を貫き、言うべきことを言い、権力の理不尽にも屈しなかった。
彼を応援して国会で国税庁長官を追求した渡辺美智男氏(当時代議士1年生)の弁舌もたいしたものです。ミッチーがこのような活躍をしていたということも初めて知りました。

平成4年に同氏が国会で意見陳述している姿をビデオで見ることもできます。
http://dr.takeshi-iizuka.jp/proposal/media/movie-07.html
大蔵官僚にチクリとやるどころか、ズケズケと法案の欠陥を指摘するあたり、彼の生き様・信念を垣間見ることができます。

飯塚事件の象徴は、メンツやプライドにこだわる高級官僚の暴走と無責任さです。40年以上がたった今、官僚主義の負の面はどれだけ正されたでしょうか?ちょっと暗い気持ちになります。

もっとも感動したのは、暴走の主導者である安井誠関東信越国税局直税部長(当時)に対して、損害賠償・名誉毀損等の訴訟を起こさなかったことです。飯塚氏の師である植木義雄(ぎゆう)老師の禅語「鑊湯無冷處(かくとうにれいしょなし)」(煮えたぎったお湯は冷やしようがない)に従って、訴訟を起こさなかったようです。「許すことほど完璧な復讐はない。」(Josh Billings)という言葉を思い出します。
安井氏は、その後大蔵省では証券局長にまで上り詰め、後にいくつかの生命保険会社などに天下りました。高級官僚として、絵にかいたような成功・勝ち組みでしょう。一方で、未来永劫、彼の事件での活躍(?)ぶりは記録として残ります。

個人の力の底知れなさをあらためて実感させて下さった飯塚毅さん、そしてこのような歴史上の重大事件と偉人の生き様を小説として残して下さった高杉良さん、ありがとうございました。


2007年9月3日月曜日

ビデオ電話

先日、スカイプではじめてビデオ電話をしました。
カメラはパソコンに内蔵されているので、いとも簡単に利用できます。
画質は、全画面にすると当然のことながら粗いですが、十分です。
相手の顔が見えると、なんとなく安心感があります。
本の紹介など、実際にモノを画面で見せることもできるので、いいですね。

ちょっと前まで、ビデオ電話というと、専用の機器(それも100万円以上の高価なもの)のある会議室に行って、複雑な(少なくとも私には)操作をして、やっと利用できたものです。もちろん、通信費もかかります。

無料であり、地球上で2億人(現在のスカイプ利用者数)が目の前にいるかのようにコミュニケーションをとれる。
まったく、すごいことになってきたものですね。

2007年9月1日土曜日

またしてもネットの負の面の強調

名古屋市内で女性が突然に連れ去られてお金を奪われ殺害。
捕まった男たちは犯罪仲間を募る携帯電話のインターネットサイトで知り合ったとのこと。
またしてもメディアがインターネットの負の面を言い立てています。(例:8月31日日本経済新聞朝刊 春秋)
インターネットは、コミュニケーションのツールです。
殺害に使った凶器のメーカーを糾弾するのと同じ論理にしか思えません。
たまたま、矛先をむけやすいから向けているのです。
人類の歴史において犯罪は常にあるでしょう。
犯罪と向き合うことが、歴史の重要な1要素であるとすると、もっと論じるべきことがあると思います。
今回の事件に関連して、次のような疑問をもってしまいます。
すべて、「いま何が必要で、これから何ができるのか」という観点です。

  • お金に困って犯罪に走った・・・お金についての無理解・無知が背景にあったのではないか、それを補うような学習なり助言の機会があればどうか
  • 出口のない犯罪に走った・・・人生の夢とか目標とかについて、小さいところからでもイメージする機会があればどうか
  • 携帯のサイトでうんぬん・・・電車内でも、歩行者をみても、スイミングスクールで子供を待つ親をみても、多くは携帯の小さな画面を見つめている。そこになにかマジックでもあるのか?現代の阿片か?人とつながっていないと不安なのか?本を読んで自分と向き合うことのありがたさを知る機会があればどうか
考えれば考えるほど、教育という場に思いが行きます。
未来を担うこどもたちが、人間らしく生きるための教育こそ最重要課題ですね。