2007年12月6日木曜日

同化 Assimilation

異文化に入って行き、同化する、という課題があるとします。
たとえば、日本人が米国aに行って、米国の文化や歴史を理解し、自分を合わせます。
そこには、同じ社会の一員になりたい、という動機や、異文化への好奇心などがあるでしょう。

逆に、外国人が日本に住んで、日本に同化しようとしたとき。
よくある声としては、日本人は閉鎖的・保守的で、何十年暮らしても日本人になることはできない、といわれます。

しかし、同化ということが「ある確たる行動様式や文化に自分を合わせ、一体化すること」だとしたら、1つ大きな疑問があります。

それは、いまの日本に「確たる行動様式や文化」があるのか?ということです。

一般論としての日本人らしさや日本文化的なもの、これらは過去の遺産として残っているだけで、いまや「限りなく日本的なもの」は薄くなってしまっているのではないでしょうか。

ある意味で、どうとでもなびく日本人、ある意味で主体性がなく自立していない日本人。

外国人にとって、同化しようにもその対象がないのではないか。

ふと、そんなことを考えてしまいます。