「近代の労働観」(今村仁司著 岩波新書)によれば、
・古代ギリシアでは、自由な時間すなわち余暇をもつ人が格上で、労働に時間を縛られる人は格下であった。
・余暇をもつ人間は、「語ること」をもって公共の事物を運営した。
・労苦から解放されるという意味での「自由」ならびにそれを支える「余暇」は、文明の価値基準であった。
・古代の文明は、余暇の文明であり、無為を理想とする文明であった。
とあります。
西洋人が、日本人に比べて長期の休暇を義務のようにとる背景には、このような考え方があるのかもしれません。
資本主義は、勤勉であることを格上とする文明をつくりました。
自由と無為は、資本主義の辞書では「ぶらぶら、ぐーたら」ということになります。
しかし、文化的なものの多くは、自由と無為から生まれているように思います。
資本主義がますます加速化する世界において、自由と無為が対抗する「ありよう」として浮上できるのか、それによって文明の行き先が変わるように思います。
2007年12月21日金曜日
自由な時間の意味
ラベル: 未来