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2007年12月6日木曜日

同化 Assimilation

異文化に入って行き、同化する、という課題があるとします。
たとえば、日本人が米国aに行って、米国の文化や歴史を理解し、自分を合わせます。
そこには、同じ社会の一員になりたい、という動機や、異文化への好奇心などがあるでしょう。

逆に、外国人が日本に住んで、日本に同化しようとしたとき。
よくある声としては、日本人は閉鎖的・保守的で、何十年暮らしても日本人になることはできない、といわれます。

しかし、同化ということが「ある確たる行動様式や文化に自分を合わせ、一体化すること」だとしたら、1つ大きな疑問があります。

それは、いまの日本に「確たる行動様式や文化」があるのか?ということです。

一般論としての日本人らしさや日本文化的なもの、これらは過去の遺産として残っているだけで、いまや「限りなく日本的なもの」は薄くなってしまっているのではないでしょうか。

ある意味で、どうとでもなびく日本人、ある意味で主体性がなく自立していない日本人。

外国人にとって、同化しようにもその対象がないのではないか。

ふと、そんなことを考えてしまいます。

2007年10月19日金曜日

行列キャンペーン

来年の五輪に向けた中国人のマナー向上施策の一環として、行列しようキャンペーンというのをやっているそうです。
これまでは、行列はないか割り込み放題だったのを、電車を待つときとか「ちゃんと並んで待とうね」ということだそうです。

「こどもか!」と思わずつぶやいてしまいましたが、ふと、こんなことも思いました。

まず、10数億人の意識づけというのは、途方もない取り組みだということ。中国のトップマネジメントというのは、途方もない責任と能力がいる職業だな、ということ。

それから、このようなキャンペーンが必要ということに、逆に中国の上昇エネルギーを感じるということです。こどもでも、お行儀のいいこどもは立派ですが、おとなしくて覇気がなかったりします。はちゃめちゃなこどもは、エネルギーいっぱいだったりします。同じように、おとなしい日本人と、はちゃめちゃに元気な中国人。そんな気がしてしまいました。

もっと羽目をはずそう、日本人!

2007年5月23日水曜日

スイマセン

日米の比較文化論の中で、「謝る apologize」についての考え方の違いがあります。
日本人は、「まるくおさめる」ためにまず謝る。アメリカ人は、「『謝る=非を認める』ことであり、それに至るには十分かつ妥協のない議論がなければならない」と考える。
私の経験的には、日本人は「スイマセン」を多発し、アメリカ人はThank youを多発します。
スイマセンは、ありがとう的な意味までもっていて、なにかちょっとしたことへのお礼には「ありがとう」というと大げさで照れくさく、スイマセンというように思います。あいさつも、「スイマセン、いつも」などと始まったりします。一方で、はっきりと「どうもありがとう」とか「ありがとうございます」というのは、よほどかしこまったシチュエーションになるのではないでしょうか。
一方で、アメリカ人(そして他の多くの国でも)は、ちょっとしたことにThank youというのを惜しみません。レストランで水をついでもらっても、道をゆずってもらっても、家族での食事でなにかとってもらったときでも。
それぞれ文化ですから、どちらが正しいということではありません。でも、やっぱり言葉の本来の意味どおりに使いたい気がします。