2010年6月20日日曜日

お年寄りの受難に思うこと

お年寄りをだます事件が進化しています。

振り込め詐欺から、最近では身内や知人をかたってお金を用意させて玄関先で奪って逃げる事件まで出てきています。それも千万円単位!
身内にも、りんごやら布団やら味噌やら、カモネギとなって買わされている人がいます。
弱者をねらう卑劣な行為であることは間違いありません。
一方で、これは富が高齢者に偏在している事態を象徴するような出来事ではないか、とも思います。
お金そのものが、いまの偏った形にとどまっておられず、その匂いを嗅ぎ付けて悪知恵の働く人たちが群がってくるわけです。
それならばいっそのこと、資産税や、次世代に再分配される仕組みをシステムとして導入したほうがよほど全体の幸福にならないでしょうか?
一部の幸福が一部の不幸を呼ぶ、それがいまの世相のように感じます。

2010年6月19日土曜日

98歳の重み

今朝の朝日新聞朝刊を読んでいたら、「子どもを守る愛のきずな」というタイトルで、最近立て続けにニュースとなっている子どもの虐待事件についてのコラムがありました。

筆者は、7歳男児が虐待によって亡くなった小学校で「いのちの授業」を行い、かけがえのないいのちについて話したとのこと。
無事に生まれてくれただけでありがたい、という気持ちが子どもの成長とともに薄れ、「這えば立て、立てば歩めの親心」を高じていく、というくだりに、「その通り!」とわが意を得ました。
一方で、このような正論をまっすぐに言って、「わかっているよ、そんなこと」と思われないのだろうかと気になって筆者の名前を見たら、なんと98歳 聖路加の日野原重明さんでした。
これは重い。
年輪を重ねた人の言う言葉は、正論そのままですっと心に入ってくるものだと感心しました。
『言葉+それを発する人の気迫・重み』が伝える力を生み出しています。
肉声で聞いた人には、さらにインパクトがあったことでしょう。